著者のコラム一覧
平野悠「ロフト」創業者

1944年8月10日、東京都生まれ。71年の「烏山ロフト」を皮切りに西荻、荻窪、下北沢、新宿にロフトをオープン。95年に世界初のトークライブ「ロフトプラスワン」を創設した。6月、ピースボート世界一周航海で経験した「身も心も焦がすような恋」(平野氏)を描いた「セルロイドの海」(世界書院)を刊行。作家デビューを果たした。

ライブハウスで壮絶な最期を遂げた故・南正人さんを悼む

公開日: 更新日:

 フォーク、ロック、レゲエのシンガー、吟遊詩人、いやヒッピーと呼ぶのが一番ふさわしいかも知れない。同じ1944年生まれの南正人さんがコロナ禍の真っただ中、横浜市内のライブハウスで壮絶な死を遂げた(7日)。歌い始めて15分、ステージで倒れてドラマーの息子の腕の中で息を引き取ったという。享年76。合掌。

 ◇  ◇  ◇

 南さんは、1960年代後半に世界の若者の間で広まったヒッピームーブメントの日本の草分け的存在でもあった。

 この時代のヒッピーは東洋の哲学や宗教に共鳴し、反体制派思想や自然回帰思想など既成概念にとらわれない新しいカルチャーを生み出した。

 ベトナム戦争(55年11月~75年4月)の反対運動にも関わり、日本各地にコミューン(運命共同体)がつくられた。

「手に武器ではなく、花束を」という合言葉とともにベトナム戦争の徴兵を拒否した米国の若者による「フラワームーブメント」も生まれた。

 そんな時代にあって南さんは、東京外語大スペイン語学科在学中に欧州や北中米を放浪し、帰国すると弾き語りで自作のメッセージソングを歌うようになる。その当時から中川五郎、高田渡、友部正人、三上寛、中山ラビさんたち<中央線フォーク村の人々>と交流を深め、高石ともや、岡林信康さんと同じステージに立つこともあった。

最新の芸能記事

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    「おまえになんか、値がつかないよ」編成本部長の捨て台詞でFA宣言を決意した

  2. 2

    【原田真二と秋元康】が10歳上の沢田研二に提供した『ノンポリシー』のこと

  3. 3

    カーリング女子フォルティウスのミラノ五輪表彰台は23歳リザーブ小林未奈の「夜活」次第

  4. 4

    3度目の日本記録更新 マラソン大迫傑は目的と手段が明確で“分かりやすい”から面白い

  5. 5

    国分太一“追放”騒動…日テレが一転して平謝りのウラを読む

  1. 6

    福山雅治&稲葉浩志の“新ラブソング”がクリスマス定番曲に殴り込み! 名曲「クリスマス・イブ」などに迫るか

  2. 7

    「えげつないことも平気で…」“悪の帝国”ドジャースの驚愕すべき強さの秘密

  3. 8

    松岡昌宏も日テレに"反撃"…すでに元TOKIO不在の『ザ!鉄腕!DASH!!』がそれでも番組を打ち切れなかった事情

  4. 9

    年末年始はウッチャンナンチャンのかつての人気番組が放送…“復活特番”はどんなタイミングで決まるの?

  5. 10

    査定担当から浴びせられた辛辣な低評価の数々…球団はオレを必要としているのかと疑念を抱くようになった