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立岩陽一郎ジャーナリスト

NPOメディア「InFact」編集長、大阪芸大短期大学部教授。NHKでテヘラン特派員、社会部記者、国際放送局デスクなどを経て現職。日刊ゲンダイ本紙コラムを書籍化した「ファクトチェック・ニッポン 安倍政権の7年8カ月を風化させない真実」はじめ、「コロナの時代を生きるためのファクトチェック」「トランプ王国の素顔」「ファクトチェックとは何か」(共著)「NHK 日本的メディアの内幕」など著書多数。毎日放送「よんチャンTV」に出演中。

少しでも大谷選手にネガティブなことを言う人間は許さない…そんな空気に警鐘を鳴らしたい

公開日: 更新日:

訴状をつぶさに読んで分かったこと

 では、私が抱いた疑問についてはどう書いているのか。

「2022年の2月2日頃、水原氏がA銀行に電話をかけて、ネット送金のためにx5848口座へのアクセスを要求した」となっている。その結果、どうだったか。

「水原氏はA銀行との電話中、被害者A(大谷選手)を名乗り、車のローンのためにブックメーカーに資金を送金しようとしていると偽った。この要求は失敗し、A銀行はx5848口座のオンライン取引を凍結した。」

(During the call, Mizuhara falsely identified himself as Victim A, and falsely stated that he was attempting to wire funds to Bookmaker for a car loan. This request unsuccessful, and Bank A froze online transactions for the x5848 Account.)

「同日の別の電話で、A銀行の別の行員が、x5848口座のオンライン取引の停止について、水原氏と水原氏に紐づけられた携帯電話で話をした。この通話で、水原氏は再び被害者A(大谷選手)であると偽り、セキュリティ・チャレンジの質問に対し、被害者A(大谷選手)の経歴情報をA銀行の従業員に伝えた。その結果、水原氏は同口座のオンライン取引の凍結を解除することができた。」

(On another call on the same day, a different Bank A employee spoke with Mizuhara, using the x0373 phone number associated with the Mizuhara phone, regarding the suspension of online banking on the x5848 account. During this call, Mizuhara again falsely identified himself as Victim A, and responded to security challenge questions by giving the Bank A employee biographical information for Victim A. As a result of this call, Mizuhara was able to successfully lift the online banking suspension on the x5848 account.)

 この口座へのアクセスに関しては、私は2010年というかなり前の居住経験から、署名の照合などがあってそう簡単ではないという印象を語ったことがある。それについては、オンライン化が進んでいる現在は署名の照合も必要なく、困難なことではないという指摘がなされている。訴状を読むと、その点は私の話は時代遅れな点もあったように思うが、一方で、水原容疑者は簡単に口座にアクセスできたわけではない。一度アクセスを拒否され、オンライン取引は凍結されている。

 実は、この事実が訴状で大きな意味を持っている。この訴状の結論部分に次のように書いてあるからだ。

「仮に被害者A(大谷選手)がこのような電信を知り、許可していたのであれば、水原氏が被害者A(大谷選手)になりすましてA銀行の行員に虚偽の供述を繰り返したということは信じられない。」

(I do not find it credible that Mizuhara would have made repeated false statements to Bank A employees by pretending to be victim A if victim A was aware of and authorized these wires.)

 水原容疑者による虚偽の働きかけが、大谷選手が知らないところですべて行われていたことの証明の一つと指摘されているわけだ。

■健全な言論空間、健全なメディアであるために

 ところで、この「A銀行の行員に虚偽の供述を繰り返した」点が訴状で具体的に書かれているのは「2月2日頃」の2件だけだ。ここで、最初の電話で認められなかったものが、2度目の電話で凍結されたオンライン送金が利用可能になる経緯は明確には書かれていない。A銀行からの大谷選手に関する問いに水原容疑者が答えられたため、となっているだけだ。

 ただ、なぜそれが可能だったのかという私の疑問については、訴状は答えているわけではない。その際に、水原容疑者が自身を大谷選手だと信じ込ませることができた情報を水谷容疑者がどのように入手したのかが書かれていないということだ。それは、誰でも簡単に探せる情報だったのかもしれない。事の性質上それは考えにくいが、妙な推測はしない。ただ、その点は訴状で明確にはされていない、ということだけは記しておく。

 繰り返すが、私がメディアで発言し、ここで書いていることは、何も大谷選手が不正に手を染めたという点ではない。それは番組でも伝えている。また、この点を追及する気もない。なぜなら、この事件についてアメリカの捜査当局も事実上の終息宣言をしているからだ。これ以上、何かを探すことに意味はない。ただし、なぜ水原容疑者が大谷選手に無断で不正送金が行えたのかについて、疑問は疑問として残っているということだ。それだけのことだ。

 それでも、謝罪を求めるコメンテーターは、そんなことは関係ないと主張するだろう。そもそも「人の道から外れることは絶対にしない」大谷選手に疑問を呈すること自体が「人の道」に反すると言うのかもしれない。もちろん、それを旨としてコメンテーターをするというのは個人の自由だろう。まさか、大谷選手だけ特別というわけではないだろうから、今後すべての問題についてそういう主張をするのだろうと思う。しかし、それが健全な言論空間、健全なメディアのあり方なのかという点は冷静に考えたほうがよい。

「世論(せろん)と輿論(よろん)」という議論がある。世論とはpublic sentiment、つまり人々の感情の動きだ。輿論とはpublic opinion、これは人々の感情とは異なり、公の議論を経て作られる意識形成のことだ。戦前は世論と輿論が区別されていたが、戦中、そして戦争が激化する中で輿論が消え、世論が幅を利かすようになる。それは世界に冠たる大日本帝国陸海軍に疑問を呈することを許さず、その結果、大本営が伝える内容が世論を形成していく流れを作り出した。

 疑問を呈するなという考えは、この流れを想起させる。私のように疑問を呈した人にとって、「大谷選手も共犯だと言いたいだけ」とは暴論でしかないが、残念ながらその暴論に賛意を示す人は少なくない。つまり輿論の形成に必要な議論の土台である疑問や異論を排除し、ひたすら世論、つまり人々の感情の動きに合わせて発言する流れが既にできている。それがどういう社会を構築するのか。戦中のような言論空間の硬直化を生むと言っても、決して大袈裟な話ではない。

 もちろん、自身の発言を謝罪するのは自由だ。私も過去に誤った発言があれば謝罪している。そして、大谷選手のファンが私を罵倒するのも自由だ。しかし、メディアに関わる人間が議論を封じるような言動をすることには抑制的であるべきだ。

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