松任谷由実が矢沢永吉に学んだ“桁違いの金持ち”哲学…「恋人がサンタクロース」発売前年の出来事
■ 音楽出版社設立と松田聖子への楽曲提供
「前年から『呉田軽穂』名義で、松田聖子に楽曲を提供しており、83年はシングル『秘密の花園』『瞳はダイアモンド』の作曲をしています。この辺りの印税も巨額だったと思いますが、それ以上に79年に『雲母音楽出版』を設立したことが大きい。通常、作詞や作曲をしても、著作権は音楽出版社に譲渡する形になります。その音楽出版社の大半はレコード会社、事務所、テレビ局の関連会社です。テレビなどで曲が流れれば、ジャスラックから音楽出版社に使用料が分配されます。作詞家や作曲家は、その中から何%かをもらうだけ。悪く言えば、中抜きされる」(芸能記者)
当時、歌手個人が音楽出版社を持つことはほとんどなかったが、75年に矢沢永吉がソロデビューする際、著作権管理会社を作って、楽曲の版権を自ら所有した。
「松任谷夫妻は、矢沢さんに倣ったのだと思います。荒井由実時代の『ひこうき雲』『中央フリーウェイ』などの版権はアルファレコードが持っていますが、松任谷由実の曲は雲母音楽出版が保有するようになりました。ドラマの主題歌になると、テレビ局の著作権管理会社と折衷する場合もありますけどね」(前出の音楽関係者=以下同)


















