手軽でも奥深い!エッセー本特集
「孤独」宮崎智之編
ふとしたときに手に取って、肩ひじ張らずに読むことができるエッセー。しかし、著者の新たな気づきや繊細な心の動きがつづられており、意外と奥深いジャンルでもある。今回は、エッセーとは何かを掘り下げる“エッセーにまつわるエッセー”から、愛犬家の作家たちによる犬のエッセーまで、その醍醐味を存分に楽しめる4冊を紹介する。
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「孤独」宮崎智之編
随筆・エッセーの復興を掲げる著者が選んだ、「孤独」を題材とした名作を集めたアンソロジー。
劇作家として活躍した寺山修司の「汽笛」には、その冒頭から孤独が色濃く映し出されている。父が特高警察の刑事だったことで転勤が多く、母からは「お前は走っている汽車の中で生まれた」と聞かされて育った。これは冗談だったらしいが、一所不在の思想に取りつかれていた寺山は、この個人的な伝説にひどく執着しており、「おれの故郷は汽車の中だ」が口癖だったという。
日本の批評界をリードしてきた小林秀雄による「栗の樹」には、文学に携わる者の苦悩があふれている。小林の妻は文学にまったく興味を示さなかったが、たまたま手にした島崎藤村の「家」に感銘を受ける。そして、幼い頃の通学路にあった栗の木に思いを馳せ、故郷の信州まで出かけていく。しかし小林は、自分はいまだ栗の木には出合えていないと、焦燥感をつづるのだった。 (筑摩書房 1100円)
「母の味、だいたい伝授」阿川佐和子著
「母の味、だいたい伝授」阿川佐和子著
昔食べた“母の味”。おぼろげな記憶をたどりながら、「だいたいこんな感じ?」と再現する、食欲と母への愛に満ちたエッセーだ。
あるとき献立に悩んだ著者は、他界した母の得意料理だった「鶏飯」を作ることにする。少し深さのある大皿に、鳥そぼろと炒り玉子とキュウリがのったご飯の山盛りをドカンと置く。子どもの頃によく食卓に登場した献立だった。
そぼろはさほど茶色くなかったので擦り生姜と酒、みりん、砂糖や醤油で薄味に。続いて炒り玉子とさいの目切りのキュウリを準備していると、冷蔵庫にインゲンを見つけたのでついでに茹でておく。シイタケもおいしいかもしれないと、甘辛く煮つけてみる。
こうして完成した鶏飯は、ずいぶん具が盛りだくさんになってしまった。母が生きていたら何と言うか。「へえ、具がごちゃごちゃと、ずいぶん多いわねぇ」という声が聞こえてくるようだと著者。
読むほどに腹が減り、母の味が恋しくなる。 (新潮社 649円)
「犬と」佐藤愛子、小川糸ほか著
「犬と」佐藤愛子、小川糸ほか著
“うちの犬”との時間をつづる、39人の作家たちによるエッセー。
父の影響で大の犬好きだった著者。しかし小学校2年生で初めて迎えた“アカ”は、元野良の雑種でちっとも慣れてくれなかった。ところがある日、闘犬用のブルに出会いピンチに陥った著者を助けたのは、ほかならぬアカだった。噛みつかれ血を流しても戦い、ついに勝利するアカ。その帰途、アカは初めて著者にじゃれつき、以来ひとりと一匹は大の仲良しになったという。(幸田文「親ゆずりの犬好き」)
雑種のボンは、はしゃぐと手当たり次第に噛みつく犬だった。凶暴性からではないが、大型犬なので被害は甚大。通行人まで噛むようになり、とうとう保健所へ送ることになってしまった。のちに気づくのだが、著者自身にも噛み癖があり、不惑を越えても爪を噛んでいた。人間に生まれたおかげで自分は保健所に送られずに済んでいるのだと、苦い思い出をつづるのだった。(向田邦子「噛み癖」)
(河出書房新社 990円)
「日本エッセイ小史」酒井順子著
「日本エッセイ小史」酒井順子著
エッセイストの著者が、歴史をたどりながらエッセーとは何かをひもといていく。
エッセーと随筆は同じもののようなイメージがあり、実は定義も曖昧だ。しかし、日本三大随筆と評される「枕草子」「徒然草」「方丈記」は三大エッセーとは呼ばれない。何か違いはありそうだ。
随筆をエッセーに変えて台頭させたのは、映画監督の伊丹十三氏であるという。1965年の著作「ヨーロッパ退屈日記」が若者の心を掴み、以降、欧米っぽさ、新しさ、若さ、軽さなど大人の世界とは反対の価値観をもって書かれたものがエッセーと呼ばれ、権威が感じられたり啓蒙的なものは随筆とされたと本書。
また、エッセーとは自慢話であると著者はいう。ちょっと気が利いた視点やすごい体験のアピールがエッセーであり、自慢であることを書き手が自覚していないと、途端につまらないものになるそう。
軽やかなのに奥深いエッセーの神髄に迫る、エッセーにまつわるエッセーだ。 (講談社 770円)



















