人間の愚かさを描くのは文学もロックもお笑いも一緒…だから又吉直樹はどこまでも芸人なのだ
太宰が小説でやっているようなことをダウンタウンは毎週コントの中でやっていた。特に「言葉にできひんみたいなものを、バッと取り出して表現できてしまうところ」(文芸春秋「文春オンライン」17年9月2日)に共通点を感じた。そして「哀愁と笑いが表裏一体」である部分や、「自意識の暴発」「人間の愚かさを含めた笑い」(同前)なども似ていると思った。
又吉が小説家でもミュージシャンでもなく、最初に芸人を目指したのは「何やってもええって思ってるから」(朝日新聞出版「AERA」15年6月1日号)。
「職業っていうカテゴリーとか、誰かになりたいとかはない。どっちが自由度が高くて、どっちがよりおもろいかってだけ」(同前)
冒頭の番組で、又吉は「文豪」と呼ばれるかつての文学者たちは決して尊敬される「先生」だけではなく、「もっとパンクというか、不良性があって。破壊的で、でも優しくて」という人たちがたくさんいたはずだと言う。又吉自身も芥川賞を取ったことで「センセイ」イジりをされることが少なくない。
「その時に、昔、自分が嫌やなと思ってた権威的な大人にされたらどうしようっていう危機感とか恐怖感ってあったんですけど、やっぱり小説とか文学っていうものは、僕はロックと一緒で、どうしようもなさとか、情けなさとか、愚かさっていうものを描くジャンルのひとつだと思ってる」(NHK「偏愛ミュージックサロン」3月28日)と語る。
どうしようもなさや情けなさ、愚かさを描くのはもちろん、お笑いも一緒。だから、又吉はどこまでも芸人なのだ。



















