萩本欽一〈29〉今明かす、視聴率100%の絶頂期にすべての番組を降板した「休養宣言」の真相
増田「欽ドンが始まった頃ですけど、僕たち視聴者から見ると、コント55号で人気が沸騰して、萩本欽一個人としてつくる番組が次々にヒットして、まさに絶頂期という印象でしたが、実はいろんなご苦労があったんですよね。スポンサーをつけたりするのに。やっぱり運って言うんでしょうか。何も最初からうまくいってたわけではないんですね」
萩本「成功するっていうのは、いい人に出会うことって言ったけど、それだけじゃダメなんですよね。いい人に出会うっていうのと、プラスにしてそのいい人のいい言葉ってのがあった場合は100%成功する。だからフジテレビでレギュラーをやる時に、フジテレビが『やりたいディレクターとかいますか』って言うから、俺より先に二郎さんがすかさず『常田さんでお願いします』って言ったの」
増田「常田久仁子*さんですか?」
※常田久仁子(ときたくにこ):1927年東京生まれのテレビプロデューサー。1952年に文化放送に入社、1958年にフジテレビに移籍。代表作に『お昼のゴールデンショー』(1968-72年)、『コント55号の世界は笑う!』(1968-70年)、『ラブラブショー』(1970-79年)、『欽ちゃんのドンとやってみよう!』(1975-80年)、『アイ・アイゲーム』(1979-85年)、『TVプレイバック』(1985-89年)など。2010年没。


















