萩本欽一〈30〉「お尻を触る根性がなかった」 恩人の女性Pがずっと面倒を見てくれた意外な理由
作家・増田俊也氏による連載、各界レジェンドの生涯を聞きながら一代記を紡ぐ口述クロニクル。待望の第2弾は、「視聴率100%男」として昭和のテレビ界を席巻したコメディアンの萩本欽一氏です。
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増田「常田久仁子*さんとは本当に出会いですね」
※常田久仁子(ときたくにこ):1927年東京生まれのテレビプロデューサー。1952年に文化放送に入社、1958年にフジテレビに移籍。代表作に『お昼のゴールデンショー』(1968-72年)、『コント55号の世界は笑う!』(1968-70年)、『ラブラブショー』(1970-79年)、『欽ちゃんのドンとやってみよう!』(1975-80年)、『アイ・アイゲーム』(1979-85年)、『TVプレイバック』(1985-89年)など。2010年没。
萩本「そうでしょ。常田さんでもう一つで言うとね。優れてないってのをさらけ出すのがすごかった。当時、常田さんが私にこう言ったの。『私、文化放送にいたのよ。ラジオでドキュメンタリーやってたの。それで、フジテレビにはそういうことを作れるやついないからって言われてフジテレビ来たの。フジテレビでもずっとドキュメンタリーをやると思ったのよ。そうしたらさ、会社でストがあってね、その先頭に立って腕章つけて、前線で戦ったのよ。そしたら笑い(バラエティーの部署)の方に異動させられた。笑いってのは、飛ばされた人が来るとこなのよ』って言ってね。『あら、いけない。これ内緒ね、あんた絶対いっちゃダメよ』なんて言うんだよ」


















