天安門事件が転機となり妻の留学先が東京へ
元中国有力紙記者の転身物語<2>
11年間続く、ボランティアの「星期日漢語角」(日曜日中国語交流サロン)。発起人のD氏は、なぜ一銭も儲からないことを思いつき、いまも続けているのか? いったい何をなりわいとしているのか。興味津々で彼を訪ねた――。
西池袋公園にほど近い閑静な住宅街。その一角にD氏の小さな事務所があった。
中に入ると、1階の応接間には発送を待つ書籍が山積みされていた。ここは出版社でもあるのだ。D氏は急須にお湯を注ぎながら、自分の生い立ちと来日の経緯を明かす。
「僕が生まれたのは1958年、湖南省婁底市です。内陸の田舎町ですが、名士・曽国藩の故郷でもあります。北京のジャーナリズム専門大学を卒業し、『中国青年報』の記者兼編集者として配属されました。その間、共産党にも入党し、結婚もしました」
「中国青年報」は、共産党の若手エリート組織である共青団の機関紙だ。D氏の職業は体制内の中枢にあって、誰もが憧れるポジション。順調に出世コースに乗ったかと思われたが、予想外の出来事で大きな転機が訪れる。