富士山が噴火したら…首都圏はどうなる? 元国立極地研究所所長・島村英紀氏が解く
富士山は江戸時代の1707年(宝永の大噴火)を最後に噴火していない。当時の記録によれば、南東部の中腹から噴煙が上がって、2時間ほどで江戸に降灰があったという。いつ起こってもおかしくないといわれるが、どんな被害が想定されるのだろか。歴史的文献には当時の記録が残されているという。「火山入門—日本誕生から破局噴火まで」の著者で、元国立極地研究所所長の島村英紀氏(火山学)にまとめてもらった。
◇ ◇ ◇
平安時代には、毎年のように山頂噴火があったことが記録されている。富士山の三大噴火のうち800~802(延暦19~21)年に起きた平安時代の「延暦の噴火」についての文献は『日本紀略』などを除いてほとんどない。この『日本紀略』には降灰が多い爆発的な噴火だったことや、東海道の本道である足柄峠越えの道が火山礫が積もって通行困難となったため、新たに箱根路を開いたとある。街道を付け替えなければならないほどの噴火ならば大噴火にちがいない、というのが三大噴火のひとつとして数えられた根拠になっていた。
記録最後の宝永噴火では、噴煙は15000~20000メートルにも昇ったとされる。成層圏の高さだ。そして火山灰は上空の偏西風に乗っていまの首都圏に10~30センチも積もった。とくにいまの神奈川県には多かった。