斉藤和巳を「誰もが認めるエース」に変えたのは…ドラ1入団当時はいかにもな「ヤンチャ坊主」だった
98年に小久保と和巳はいずれも右肩を米国で手術。術後、リハビリに励む小久保の姿を目の当たりにして、和巳は「俺はこのままじゃダメだ」と痛感し、野球に対する姿勢が急激に変わりました。小久保に心酔するようになり、2人でヒーローインタビューを受けた時は明らかに舞い上がっていたほどです。
負けん気の強さは人一倍。やはり気の強い西武の石井貴と投げ合っていた時は圧巻でした。打者を打ち取った和巳が西武ベンチに向かって「しゃあ!」と挑発すれば、石井も同様に抑えた時は、ホークスベンチに向かって「おらあ!」と叫ぶ。まさに意地と意地とのぶつかり合いでした。
とにかく、和巳が投げる試合は負ける気がしませんでした。低めに集まる速球にキレのあるスライダー、打者のタイミングを外すカーブ、鋭く落ちるフォークなど、僕らが見ていても「レベルが違う」とハッキリわかったほどです。
野手の信頼も勝ち得ていました。20勝した2003年の翌年は右肩を痛め、登板間隔も中10日を空けざるを得ませんでした。最終的にこの年は防御率6.26と散々な結果でしたが、驚くのは10勝7敗という成績です。これは野手陣が和巳をどう思っていたかの答え。「和巳に負けをつけさせるわけにはいかん。何点取られても、負けさせるわけにはいかん」と、一丸になった証しです。