「アフター・ユー」一穂ミチ氏
「アフター・ユー」一穂ミチ氏
いつもそばにいた人が突然いなくなったら、人はどうするだろう。著者最新の長編小説のテーマは「不在」と「喪失」。
ある夜、タクシー運転手の青吾が仕事から帰宅すると、1泊旅行から戻っているはずの恋人・多実がいない。電話もLINEもつながらない。不安と楽観が入り交じり、行く先さえ聞かなかった自分の無関心に気づく。
「主人公の青吾は、無害な感じの臆病な中年のおじさんです。あなたはなぜそうなったの? と逆算して考えていくうちに、彼の物語が出来上がっていきました」
タクシーへの忘れ物がきっかけで知り合った多実とは、もう10年も一緒に暮らしている。40歳を過ぎた2人の日常は平穏だった。突然の多実の不在に焦りを募らせる青吾のもとに、信じられない知らせが届く。多実が男と2人で乗っていた小型クルーザーが、長崎県五島列島の遠鹿島付近で転覆、2人は行方不明だという。まさか、不倫? 多実は秘密を抱えていたのだろうか。
ここから物語の舞台は東京から遠鹿島に移る。多実と一緒に行方不明になった男の妻、沙都子に背中を押されて、それぞれの伴侶の痕跡を探す旅に出るのだ。
「沙都子は、暗めな青吾と好対照のキャラクターです。はきはきしていて芯が強い。天然というか、少しズレたところもあります。男女2人で行動するわけですが、湿っぽい空気にはしたくなかったんですよね」
お互いによく知らない男女2人の探索行は、少しギクシャクしながら、時に笑いを誘う。行動的な沙都子に振り回され気味に、青吾は多実の人生のかけらを探す。そして不思議な体験をする。深夜の島で四角く光る公衆電話ボックスを見つけた青吾は、多実からもらったお守り袋の中にあった古いテレホンカードをそっと差し込んでみる。受話器を耳に当てると「もしもし、青さん?」。多実の声だった。
「物語に少しだけファンタジーの要素を加えたかったんです。古い公衆電話の回線だけで彼女とつながることが出来る。おそらく彼女の残像でしかないんですけど、声は聞こえる。そういう不思議なことって、私はあると思うし、あってほしいな、と思います」
沙都子の夫は遠鹿島の名家の息子。関わりのあった人を訪ね歩くうちに複雑な島の人間関係が浮かび上がり、ミステリー味が濃厚に。多実の秘密と、青吾が封印してきた母の記憶が交錯する。多実との出会いは偶然ではなかったのか……。
「いままで目を背けていた自分の過去と、彼はやっとまともに向き合います。多実の自分への思いも知ります。でも、ありがとうを言いたくても、彼女はもういない。取り返しがつきませんよね。喪失を抱えたまま彼の人生は続いていきます。彼が本当に悲しいのは、これからではないかという気がします」
〈『青さん』って言うてくれ。もう一度だけでもええから〉。大切な人を喪った後に湧き上がる中年男の恋情が切ない。
(文藝春秋 1980円)
▽一穂ミチ(いちほ・みち)大阪府生まれ。関西大学卒業。2007年に「雪よ林檎の香のごとく」でデビュー。22年「スモールワールズ」で吉川英治文学新人賞受賞。24年「光のとこにいてね」で島清恋愛文学賞、「ツミデミック」で直木賞を受賞。「イエスかノーか半分か」は20年にアニメ映画化された。ほかの作品に、「パラソルでパラシュート」「砂嵐に星屑」「恋とか愛とかやさしさなら」など。



















