一夜にして視力を失い…石井健介さん多発性硬化症との闘い 異変から二度の入院、後遺症、そして社会復帰
石井健介さん(ブランド コミュニケーター/46歳)=多発性硬化症
36歳のとき「多発性硬化症」により一夜にして視力を失いました。いまはシルエットがぼんやり見える程度で、色はなく、基本、グレーの濃淡で判断しています。「これ以上、回復の見込みはありません」というお墨付きのような「1種1級」の障害者手帳を持つ身です。
異変が起きたのは、まったく見えなくなる前々日でした。打ち合わせで行ったカフェで、メニューの一部が欠けて見えたのです。翌日、近所の眼科に行くと、「異常なし。疲れ目でしょう」と目薬を処方されました。ところが、翌日の朝、目覚めると隣に寝ている娘の顔が見えない。光と色は見えるけれど、何ひとつはっきりせず、娘のシルエットだけがぼんやり見える状態でした。
現役看護師の妻を付き添いに再度眼科に行くと大学病院を紹介され、その日の夕方に受診することに……。その頃にはもう視界は真っ暗になっていました。
医師は「脳梗塞かも」と想定しつつ、多発性硬化症の可能性も疑ったようで、すぐに大量のステロイド投与で急激に炎症を下げるステロイドパルスという治療をしてくれました。多発性硬化症と確定されたのは、その後、いろいろな検査をしてからのことなので、早い段階でステロイドパルスをしてくれた先生には本当に感謝しています。
多発性硬化症は、中枢神経を覆う膜が壊れて神経がむき出しになる病気で、原因不明の難病です。後になって先生から「この病気で一部視野欠損する人はいても、一晩で両目が見えなくなる人はすごくレア。劇症です」と聞かされました。
入院は2回にわたりました。最初の入院は36日間で、ステロイドパルスに加え、血漿交換という治療を11回受けました。血漿交換は、病気の原因となる物質が溶け込んだ血漿を捨て、代わりに健康な人の血漿やアルブミン製剤などの液体で置き換える治療法です。この約1カ月間の治療で、かすかに光の動きがわかるまで改善しました。
さらなる改善を期待して2回目の入院で7回血漿交換を受けましたが、まったく改善が見られず、治療は終了。かすかに光が見える状態で退院となり、日常生活を送ることになりました。
ちなみに視覚障害の段階でいうと、私の右目は「手動弁」に分類されます。これは目の前で手を動かすと光が動き、手がどちらに動いたのかがわかる状態。重い順で言うと、「全盲」、次に「光覚弁」(明暗を識別できる)、そして「手動弁」があり、「指数弁」(目の前に出された指の数がわかる)と続き、次の段階が「視力0.01」となります。左目の視力は0.01ぐらいあるので、目と字が密着するくらいビターッと近づいたら、大きな文字は見えます。画像はだいぶ荒れていますけど。
多発性硬化症の後遺症は視覚だけではありません。入院中は右脚が動かしづらかったり、顔の左半分がしびれて口から食べ物がこぼれてしまったり、排尿障害もあって人としての尊厳が傷つけられている気持ちがしました。今も顔の左半分は厚紙の上から触っているようで、舌も中心から左側がピリピリする感覚があります。右脚もうずくような違和感が残っていますが、おかげさまで排尿障害はなくなりました。これからまた起こるとしたら「老化」ですね(笑)。


















