著者のコラム一覧
細田昌志ノンフィクション作家

1971年、岡山市生まれ、鳥取市育ち。CS放送「サムライTV」キャスターから放送作家としてラジオ、テレビの制作に携わり、ノンフィクション作家に。7月に「沢村忠に真空を飛ばせた男 昭和のプロモーター・野口修評伝」(新潮社)が、第43回講談社本田靖春ノンフィクション賞を受賞。

飯野矢住代誕生秘話<6>ジャニーズ事務所の女性所属タレント第1号に

公開日: 更新日:

 1961年の夏、神宮外苑で模型飛行機を飛ばして遊んでいた少年たちに一人の男が声をかけた。「野球をやろうよ」。程なくして即席の草野球チームが結成された。チーム名は監督の名前から採って「ジャニーズ」と名付けられた。

 代々木のワシントンハイツに住むジャニー喜多川は当時29歳。米国籍の日系2世で、朝鮮戦争に従軍したのち、除隊後のこの時期、アメリカ大使館に勤務していた。

 ジャニーは野球ばかりでなく、少年たちを映画に連れて行ったり、公園で踊らせてみたりした。「ひょっとしたら、いけるかもしれない」と思ったジャニーは、4歳上の姉で、四谷でバーを経営していたメリー喜多川に少年たちを引き合わせた。メリーは友人の夫で、名和新芸能学院を主宰する名和太郎に少年たちのレッスンを託し、翌年アイドルグループ「ジャニーズ」が誕生する。姉弟が芸能ビジネスに参画したのは彼らのマネジメントがきっかけである。

 64年6月には、渡辺プロダクションの傘下に移り、ジャニーズ事務所を創設。ジャニーズは「夢であいましょう」「若い季節」(NHK)、「明日があるさ」「ホイホイ・ミュージック・スクール」(日本テレビ系)などのレギュラー番組を抱え、一躍人気者となった。当時の“ナベプロ”の威光の大きさもあった。

■関連キーワード

最新の芸能記事

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    巨人・田中将大はヤンキースに未練タラタラ…「一途な200勝男」は復帰願望を周囲にこぼしていた

  2. 2

    阪神・才木浩人はドジャース入りで大谷と共闘の現実味…「佐々木朗希より上」の評価まで

  3. 3

    カムバック星野監督の“2カ月20kg”の無茶ぶりに「嫌です」なんて言えるはずもなく…

  4. 4

    今オフ日本史上最多5人がメジャー挑戦!阪神才木は“藤川監督が後押し”、西武Wエースにヤクルト村上、巨人岡本まで

  5. 5

    高市早苗氏は頼みの党員・党友支持に急ブレーキで決戦シナリオ破綻…陣営が迫られる「地獄の選択」

  1. 6

    不世出のストライカー釜本邦茂さんが草葉の陰から鹿島18歳FWの「代表入り」をアドバイス

  2. 7

    国民民主党“激ヤバ”都議に「免許不携帯」疑惑 日刊ゲンダイの直撃にブチ切れ!【動画あり】

  3. 8

    ヤクルト村上宗隆の「メジャー契約金」は何億円?

  4. 9

    そうだ、風邪をひけばいいんだ!減量に行き詰まった末、裸同然で極寒の庭へ飛び出した

  5. 10

    ロッテ佐々木朗希は母親と一緒に「米国に行かせろ」の一点張り…繰り広げられる泥沼交渉劇