立大時代にあの土井正三から遊撃のポジションを奪った反骨心と猛練習
前身となる阪急軍から数え、今年で球団創設90周年を迎えた阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)。当時のパを代表する名手を幾人も輩出する中、ひときわ異彩を放っていたのが森本潔だ。球界から突如消えた反骨の打者の足跡と今を、ノンフィクションライターの中村素至氏が追った。
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1961年、4月。森本と土井正三、山口富士雄は立教大学に入学した。
「土井や山口はスマートで華麗な守備が売りで、いわばショートらしいショートだった。俺は肩には自信はあったけど、横の動きもよくないし、どちらかといえば泥臭いタイプだった。打球の速さでは負けないと思っていたが、立教のセレクションでは受かるかどうかギリギリのレベル。入学して寮に入ったけど、あの二人は別格で一軍の寮。俺は四軍の選手が入る寮だった。土井なんか1年の最初からベンチ入りしていたからね」
エリートと雑草の間には歴然たる格差があった。
「でも、彼らのプレーを見て気づいたんだよ。確かに守備は巧いが、バッティングはたいして飛ばないのよ。バットを短く持ってヒットは打つが、非力だった。こいつらにバッティングでは負けるわけがない、と」


















