「まあ、生きてたしね。今年も」心が削られる年末年始、“一人反省会”する40代女性が見つけた答え
大晦日、SNSのキラキラ投稿がしんどかった
年末年始になると、なぜ人は一年の“結果”を求めてしまうのだろう? 大晦日のSNSを見るたび、しんどかった。そんな女性が救われた言葉とは。
友人の直子(40)は、大晦日の夜になると決まってスマホを伏せる。「これ以上、見たら落ちるから」と言って、SNSの通知を切るのが毎年の恒例だ。
一年の終わり。紅白も終盤、年越しそばは食べ終えた。本来なら、ゆっくりしていいはずの時間なのに、頭の中では勝手に反省会が始まる。
ーー今年も、あっという間だったな。
ーー結局、何を成し遂げたんだろう。
ーー私、この一年で何か前に進んだっけ?
直子はそう思いながら、無意識にSNSを開いてしまうという。
そこには、旅行、昇進、結婚、出産、資格取得。「今年も充実した一年でした!」という投稿が、年末の空気に合わせて並んでいる。
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年末年始マジックに疲弊する心
「みんな、ちゃんと生きてる感じがするんだよね」
直子はそう言って、苦笑いを浮かべた。自分はというと、毎日仕事に追われて、疲れて帰って、寝て起きての繰り返し。大きな変化も、分かりやすい成果もない。
年末年始になると、なぜ人は急に“結果”を求めてしまうのだろう。
普段は「忙しかった」で済ませていることを、この時期だけは「何もできなかった」にすり替えてしまう。直子も例外ではなかった。
「今年は何も成長してない気がする」そう口にしながら、でも具体的に何ができていないのかは、うまく説明できない。
思えば、この一年、体調を崩しながらも仕事を休まずに続けた。人間関係で悩みながらも、ちゃんと向き合った。落ち込む夜もあったけれど、翌朝には起きて、また一日を始めた。
それでも、年末になるとそれらは全部「当たり前」に処理されてしまう。
形に残る成果だけが大事なの?
「何か“形”が残ってないと、意味がない気がするんだよね」
直子のその言葉に、私は少し胸が痛くなった。形に残る成果だけが、価値だと思わされている気がしたからだ。でも本当に、この一年は“何もしていない一年”だったのだろうか。
大きな夢に向かって走らなくても、誰かと比べて勝たなくても、毎日を投げ出さずに生き延びたこと自体、十分すぎるほどの仕事じゃないか。
直子は年明け前、こんなことも言っていた。
「今年、特別なことはなかったけど、最悪でもなかったよね」
その言葉は、とても正直で、救いがあった。
年末年始は自分を責めないための時間
年末年始にやってくる「この一年、何してた? 問題」は、きっと多くの人が抱えている。でもその問いは、少し意地が悪い。成果だけを切り取って、過程や耐えてきた時間を無視するから。
目立つ成功がなくても、踏ん張った日があったなら、逃げずに向き合った瞬間があったなら、それはちゃんと「やってきた一年」だ。直子は、年が明ける少し前にスマホを手に取り、こう呟いた。
「まあ、生きてたしね。今年も」
それくらいでいいのだと思う。年末年始は、反省するための時間じゃなく、自分を責めないための時間であっていい。何かを成し遂げなくても、誰かに誇れなくても、この一年をちゃんと終わらせた。
それだけで、十分だ。
来年も無事に終われたらいいな
年が変わる瞬間、直子は静かに深呼吸をしたという。派手な抱負も、キラキラした目標もない。ただ、「来年も無事に終われたらいいな」と思っただけだった。
それは、向上心がないわけでも、諦めでもない。これ以上、自分に厳しくしなくていいと、ようやく分かったからだ。
一年を振り返って、「何もしていない」と感じるのは、たぶん本当に何もしていなかったからじゃない。“頑張り続けること”が日常になりすぎて、それを評価する視点を失っているだけなのだ。
特別な成果がなくても、誰かに拍手されなくても、今日までちゃんと生きてきた事実は消えない。
自分への期待の裏返し
年末年始に感じる虚しさは、きっと「もっとできたはず」という自分への期待の裏返しだ。それだけ、真面目に生きてきた証拠でもある。
だから今年も、来年も、「何してた?」と自分を問い詰めるより、「よく耐えたね」と一度くらい声をかけてあげてもいい。
一年を生き延びた私たちは、思っている以上に、ちゃんとやっているのだから。
(おがわん/ライター)


















