<156>野崎さん宅の掃除機から覚醒剤検出 新型コロナウイルスは捜査の動きを遅らせた
町には古い町並みが残っていて、ぶらりと観光してからパンダのいる白浜のアドベンチャーワールドを回るのが人気のようだった。
私はドン・ファンの取材もあって、和歌山市と田辺市を結ぶ海岸線沿いの国道42号を利用することが多く、途中の有田市や湯浅町、広川町、御坊市などに立ち寄っていたし知人もいたので、少しは地理に詳しかった。
実際に集団感染が発生した済生会有田病院を訪れると、20~30人の記者たちが外で囲んでいたし、湯浅の町にもそれらしき人の姿がちらほらと見えた。
私がこの時期に和歌山に行ったのは、遺言無効の訴訟を遺族にやってもらうための最終チェックのためであり、1人で田辺に足を運んで遺族には訴訟について何度もお願いをしていたのである。
「吉田さんがそんなに言うのなら、私も協力させていただきますから。あなたには幸助も世話になったし、通夜も葬儀も本当によくやってくれていまして、感謝しかありません」
ドン・ファンの兄の樫山豊吉さんが頭を下げてくれた。勝てるかどうか分からない裁判をやってくれるというので、私は胸が熱くなった。レンタカーを借りて、代理人を務める渥美・松永両弁護士を南紀白浜空港まで迎えに行き、一緒に白浜や田辺にいるドン・ファンの親族のところを回って、代理人契約書にハンコをもらうことができた。このパターンは19年の春から何度もやっている。我々3人にとって、和歌山市までの下道をレンタカーで走る2時間近くは、今後の裁判の作戦を立てられる貴重な時間になっていた。=つづく