松田優作「国籍の重さと女の重さ」(1)国籍問題への沈黙は、差別という暴力に対する正当防衛だった
「──僕は今年の七月から日本テレビの『太陽にほえろ!』という人気番組にレギュラーで出演しています」「現在は松田優作という通称名を使っているので、番組の関係者にも知られていませんが、もし、僕が在日韓国人であることがわかったら、みなさんが、失望すると思います。特に子供たちは夢を裏切られた気持ちになるでしょう」(「越境者 松田優作」松田美智子、以下同)
これは松田優作が日本国籍への帰化を申請する際に書いた〈動機書〉の一部である。
一九四九年九月二十一日、優作は山口県下関市今浦町にあった遊郭の一角で生まれた。母のかな子は韓国人の在日一世である。かな子の夫も同じく在日一世だったが、長男と次男が生まれたあと日本軍に召集され戦死している。その後、遊郭の商売にも関わっていたかな子と日本人の不倫相手との間に生まれたのが優作だった。かな子は、長崎県出身の保護司だったという不倫相手に見捨てられたため、優作が実の父親の顔を見ることはついになかった。
十歳になった優作は、初めて自分の国籍が大韓民国であり、別の本名があり、ふたりの兄とは異父兄弟であることを知った。以降の優作は、とりわけ国籍問題で苦悩することになる。差別意識が強く、いじめが横行する下関という土地柄も優作を鬱々とさせた。


















