松田優作「国籍の重さと女の重さ」(1)国籍問題への沈黙は、差別という暴力に対する正当防衛だった
ですから、パパが日本人に帰化したら、オーバーにいえば社会的な影響もあるのではないかと思っているのです」
つかは相応の覚悟を持って韓国籍を選んだ。しかし、娘の将来を考えたとき心は揺れ、悩みに悩んだ末、娘を日本人である妻の姓で登録した。
「おまえの姓を変え、せっかくパパを産んでくれた韓国という国に、本当に申し訳なく思いました。少なくとも、パパの分の家系は絶えるのですから」(同前)。つかこうへいの芝居を見た者ならば、こうした深い葛藤が創作の原点にあったことを理解するだろう。
■母の命で米留学
優作は実の父親が日本人だったこともあり、心情的に日本と韓国の股裂き状態になることはなかった。優作はともかく日本人になりたかったし、東京へも出たかった。しかし母・かな子の考えは優作にアメリカ国籍を取らせることにあった。そのためかな子は優作にアメリカへ留学して弁護士資格を取るよう命じる。
かなり唐突な命令ではあるが、これはたまたま下関を訪れていたかな子の妹がアメリカ国籍を得てカリフォルニアに住んでいたことがきっかけになっている。優作は松田家の絶対君主であるかな子の命令に当初は抵抗しながらも、差別がはびこる下関を飛び出すいい機会と捉え、高校二年の十一月、アメリカへ渡った。


















