大衆性から離れずスリリングでパンクな戦いを繰り広げた80年代前半こそ「黄金時代」と考える
なぜ「沢田研二の1980ー1985なのか」②
ここでまた立ち止まり、なぜ「1980-1985」という期間設定なのかについて、説明しておきたい。
当連載で扱うのは、80年代前半の沢田研二。シングルでは1980年の「TOKIO」から85年の「灰とダイヤモンド」まで。アルバムでは、ほぼ80年=79年秋の「TOKIO」から85年の「架空のオペラ」までが対象となる。
さらにザ・タイガースの「色つきの女でいてくれよ」(82年)なども、この期間の作品だ。
沢田研二の黄金時代といえば、一般的には、キャリアハイとなる90万枚以上を売り上げたヒット曲「時の過ぎゆくままに」(75年)や、何といっても日本レコード大賞を受賞した「勝手にしやがれ」(77年)などを生んだ「1975-1979」となるだろう。私も、普通に考えたら70年代後半にスポットを当てるべきだと思う。
しかし、私は、その次のフェーズ=80年代前半こそが、ある意味で沢田研二の「黄金時代」だと考えるのである。
正直、シングルセールスも下降気味になる中、脂の乗り切った30代の沢田研二が、さまざまな若い才能とのコラボレーションを通じて、スリリングでパンクな戦いを重ねていたサマに、この上ない魅力を感じる者なのだ。私は。


















