大衆性から離れずスリリングでパンクな戦いを繰り広げた80年代前半こそ「黄金時代」と考える
さまざまな若い才能──佐野元春をはじめとして、伊藤銀次、後藤次利、大沢(現・大澤)誉志幸、銀色夏生、大村雅朗、秋元康……。さらには、デカダンスを突き詰めた80年代型の井上陽水と、いち早くタッグを組んだのも沢田研二だったりする。
いわば沢田研二プロジェクトから、80年代後半の音楽シーンが生まれたといっても、決して過言ではないのだ。
さらにすごいのは、そんなスリリングでパンクな戦いが、大衆性と遊離しない形で展開されていたことだ。具体的にいえば、「晴れのちBLUE BOY」(83年)のような、明らかにやり過ぎな曲を、フジテレビ「ドリフ大爆笑」のような大衆娯楽番組で歌っていたのだから。
繰り返すが、沢田研二としては、80年代前半はシングルセールスが下降気味になる時期だ。しかし、この時期のシングルやアルバムには、下降分を埋め合わせするような、「作詞・阿久悠、作曲・大野克夫」作品からは感じられない、キレッキレのナイフのような魅力がある。
そのナイフは、キラキラ、黄金色に輝いている。




















