ドンが次々に退く“昭和の芸能界”の終焉…権力集中、ムラ社会化したいびつな世界だった
勢力を伸ばした芸能プロが業界団体「日本音楽事業者協会」に所属する一方、独立独歩を貫いた旧ジャニーズ事務所は売れっ子アイドルを次々に生み出し、ジャニーズ帝国を築いた。
「その間、吉本興業が東京進出。モデル事務所からスタートした『オスカープロモーション』が国民的美少女コンテストで後藤久美子らを輩出し、不動の地位を築きました。芸能プロが売れっ子を多く抱え力をつけていく中で、大手メディアは目に見えぬ圧力や忖度で、所属タレントのスキャンダルに目をつむらざるをえない状況に陥っていきました」(前出の芸能ライター)
一部に権力が集中していた業界のバランスが崩れたのが、23年春にイギリス国営放送「BBC」が報じたジャニー喜多川氏の性加害問題で、世界的な問題にまで発展した。
「キャスティング面で優位に立つ大手プロに忖度してきたテレビをはじめとした大手メディアでしたが、ジャニー氏の性加害に目をつぶってきた過去を認め、まだその途上ですが癒着関係の解消に動き出しました」(前出の芸能ライター)
筆者は、急逝した川村氏と言葉を交わしたことがある。川村氏が副社長を務めていた田辺エージェンシーの田邊昭知社長(現会長)と面談した際、事務所でばったり出くわし、川村氏は「君の正義感はわかるけど、(周防は)いい奴だから、あまり書かないでよ」と筆者に話しかけてきたことを鮮明に記憶している。筆者は当時、周防氏の批判記事を書いていたことから、友人として案じたのだろう。