ドンが次々に退く“昭和の芸能界”の終焉…権力集中、ムラ社会化したいびつな世界だった
「当時、歌番組が主流だった時代、“ナベプロにあらずんば、歌手にあらず”という風潮があるほど歌番組を仕切っている状態で、さながらナベプロ王国でした。その王国に風穴を開けたのが1971年10月からスタートした日本テレビ系のオーディション番組『スター誕生!』だったのです」(ベテラン芸能ライター)
スタ誕のオーディションには各レコード会社、新興プロダクションが参加。番組で優勝した歌手をスカウトし、新たなスターが誕生したことで、ナベプロの力は徐々に弱まっていった。
「ホリプロ、サンミュージック、研音、バーニングプロ、田辺エージェンシーなど新興プロが力をつけていった。中でも、多くのアーティストの音楽出版権を保有しているバーニングは、NHK紅白歌合戦や日本レコード大賞に絶大な影響力を持つようになった」と話す音楽プロモーターはこう続ける。
■筆者に釘を刺した川村氏
「周防氏が業界に影響力を増していった背景に、接待や贈り物などでテレビ局や出版社、スポーツ紙などの幹部や記者を手なずけていき、いつの間にか“芸能界のドン”と呼ばれ、畏怖されました。その一方で、ホリプロや研音などはタレントを大量に抱え、テレビ局への影響力を強めていっています」