大槻ケンヂさんが「筋肉少女帯」人気を実感した瞬間 2000人の汐留PITが即完売、ラジオANN出演決定の裏話
武道館より渋谷の「屋根裏」が思い出深い
2000人のお客さんを目の当たりにしたライブから、渋谷公会堂2デイズを経て、1万人の武道館ライブまではあれよあれよといきました。
ただ、僕は武道館よりもデビューした16歳の時、(渋谷の)センター街にあったライブハウス、有名な「屋根裏]の方が思い出深い。僕は屋根裏でライブをするのが夢でしたから。有頂天とツーマンライブだったんじゃないかな。そのライブはウケた。
憧れの屋根裏で盛り上がってうれしくて、そのライブが一番忘れられない日です。大きなライブはもちろんターニングポイントでしょうけど、武道館よりも屋根裏ライブがその後の自分を大きく変えたと思います。大きな自信にもなったから。
そもそも僕は自分を何かの形で表現したいと思っていて、手段は何でもよかった。それがたまたまロックだったんですね。当時はロックバンドが自分を表現するのに手っ取り早かったんじゃないかな。ロックで世に出たけど、僕は何でもやってみたかった。DJにしろ作家業にしろ何でもかんでも。「人生社会科見学主義」なので、いろんなことをやってみました。
そして、結局、自分にとって一番いいのはステージでパフォーマンスをすることだとわかりました。充実感が強いんですよ。小説やエッセーを書くことは向いてないこともないんですけど、キツイとわかった。机に向かってコツコツと書く満足感よりも、瞬間瞬間で喝采を浴びる、コール&レスポンスができるステージの方をやりたい。60代もライブをやり続けたいです。
■今年還暦。サポートガードをつけてライブを続ける
ドラマーがちゃんと来てくれてライブデビューできた日から屋根裏、PIT、渋谷公会堂、武道館といろんなターニングポイントがあった。その頃から40年ほどの時を経て、(取材当日は)渋公(渋谷公会堂)だったLINE CUBE SHIBUYAでライブをやりましたから。今日のライブの瞬間まで全部がつながっているのが面白い。
最近は、体にサポートガードをしてライブをやっています。もちろん日にもよりますが、引っ越し屋さんがやるようなパワードスーツ的なものもしたり、脚には病院で作ってもらったカッチリしたガードをしたり。ハードロックはそのくらいやらないと60歳を過ぎると危険なんです。あんまりファンには言ってないことですが(笑)。
そこまでしても僕はライブをやっていたいということなんですね。
体力づくりにパーソナルトレーニングをやっていますが、パートレでこてんこてんに疲れちゃって6月は1回しか行ってないですね。ロッカーはポール・マッカートニーとか長くやられている方が世界中にたくさんいるので、まだまだ頑張らなきゃいけない。60代もロックし続けますので、よろしくです。
(聞き手=松野大介)
▽大槻ケンヂ(おおつき・けんぢ) 1966年2月、東京都中野区出身。82年にロックバンド「筋肉少女帯」を結成。脱退後、99年から新バンド「特撮」で活動。2006年、バンドに復帰。今秋、筋肉少女帯ツアー2026「奇談師」が開催。



















