張本勲さんは「英語もペラペラ」だった 現役時代に津田塾大に通った「安打製造機」の向学心
小川邦和氏による「奇縁球縁40年」(第24回=2011年)を再公開
「安打製造機」と称され、日本プロ野球史上唯一の通算3000安打を達成した張本勲さんが亡くなった。打席で見せた勝負への執念、歯に衣着せぬ物言い、そして人情味あふれる素顔。球界に大きな足跡を残した張本さんは、身近に接した人々にどんな記憶を刻んだのか。
過去に日刊ゲンダイで掲載された小川邦和氏による「奇縁球縁40年」(第24回=2011年)を再公開する。年齢、肩書などは当時のまま。
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張本さんが日本ハムから巨人にトレードで移籍してきたのは1975年(昭和50年)のオフ。その翌年、キャンプで張本さんの素晴らしさ、高打率の秘密を見つけることができた。
キャンプ中盤に差しかかると主力を含め、投手陣は主力打者の打撃投手を務めるようになる。
ある日、私は張本さん相手に投げることになった。そのとき感じたことは、「よくぞここまで」と感心するくらいボール球を振らなかったことだ。高低でも左右でもボール1個分外れていたら、絶対に手を出さなかった。その代わり、ストライクゾーンのボールを見逃すことはなかった。ここまでストライク、ボールに打撃練習からこだわるバッターは後にも先にも張本さんだけだった。


















