萩本欽一〈46〉斉藤清六が泣きながら持ってきた1000万円、追い返そうと思って貯金額を聞いたら驚いた
「あいつ女性としゃべれない」
増田「萩本さんの家に半年いたり、その前に浅草行ったり」
萩本「のちにね、私が映画やって失敗したとき、1000万円持ってきて『これで映画の切符ください』って言って頭下げるのよ。『そんなことできない、売らない』って言ったら、泣いてさ、『僕のお金じゃない。大将が稼がしてくれたお金だから』って泣き続けるの。それで『おまえな、1000万円持ってくるってことはな、億以上の貯金がある奴がやることだよ。おまえみたいな奴が持ってくんじゃない』つったら『億あります』って言うの(笑)。もらっちゃおうかと思ったくらい驚いた。もちろん、手は出さなかったよ、絶対。でも『あぁ可愛いやつだ』と思って」
増田「1億円も稼いだんですね。素晴らしいな」
萩本「稼いだんでしょうね。あいつ奥さんもいないし。独り者ですからね」
増田「今も一人」
萩本「ずっとです。あいつ女性としゃべれない」
増田「でもそこから1億円稼いだ。人柄ですよね」
萩本「うん。人柄」
増田「一人一人にドラマがあるんですね」
萩本「みんなドラマありますよ」
増田「気仙沼ちゃんはどんな感じだったんですか?」
※気仙沼ちゃん(けせんぬまちゃん):元タレント。本名・白幡美千子。宮城県気仙沼市生まれ。1977年、一般公募を経てフジテレビ系列の『欽ちゃんのドンとやってみよう!』の「欽ドン劇団」に出演。芸能経験のない一般女性ながら、素朴な人柄と東北弁を生かしたキャラクターで人気者となり、「気仙沼ちゃん」の愛称で親しまれた。番組を離れた後は故郷に戻り、1980年に結婚。気仙沼湾の大島で「気仙沼ちゃんの宿 アインスくりこ」の女将を務めている。
萩本「気仙沼ちゃんは番組で何にも教えてないし、そのまんま。あの彼女の生きざまが本当におかしかった。番組を終える時にね、『気仙沼ちゃんこれからどうするの?』って聞いたら『このまま芸能界でやっていきたいです』って言ったから、その時に『バカ者!』って言ったの。それでこんこんと諭したの」
(つづく=火・木曜公開)
▽はぎもと・きんいち 1941年、東京都生まれ。高校卒業後、浅草での修行を経て、66年にコント55号を結成。故・坂上二郎さんとのコンビで一世を風靡した。その後、タレント、司会者としてテレビ界を席巻し、80年代には週3本の冠番組の視聴率がすべて30%を超え、「視聴率100%男」の異名をとった。社会人野球「茨城ゴールデンゴールズ」の初代監督、2015年には73歳で駒澤大学仏教学部に入学するなど挑戦を続け、25年10月にスタートしたBS日テレ「9階のハギモトさん!」は今年4月からSEASON3に突入した。
▽ますだ・としなり 1965年、愛知県生まれ。小説家。北海道大学中退。中日新聞社時代の2006年「シャトゥーン ヒグマの森」でこのミステリーがすごい!大賞優秀賞を受賞してデビュー。12年「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」で大宅壮一賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞。3月に上梓した「警察官の心臓」(講談社)が発売中。現在、拓殖大学客員教授。



















