日本考古学発祥の地 大森の貝塚碑が“2つ”存在する謎

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 大森といえば「貝塚」が有名だ。大森貝塚は、明治10年に日本で初めて学術的な発掘調査が行われた日本考古学発祥の地。縄文時代の遺跡から、貝殻だけでなく動物の骨や人骨、土器や石器なども多数出土している。調査を行ったのはアメリカの動物学者エドワード・モース。

「貝類の研究をしに来日。横浜から新橋に向かう列車の窓から、貝の地層を見つけました。新橋と横浜間に日本初の鉄道ができたのはモースが来日する5年前。鉄道を敷くために、丘の斜面が削り取られていたのです」(いからしひろき氏)

 大森貝塚を記念した石碑も残されているのだが、実は2つある。ひとつは大森駅から池上通りを北に5分ほど行った大田区の「大森貝墟碑」。もうひとつはそこからさらに5分ほど行った品川区の「大森貝塚碑」。前者は昭和5年、後者は昭和4年に建てられている。なぜ1年違いで2つも記念碑が建てられたのか?

「最初に計画していたのは貝墟碑の方でしたが、資金繰りがうまくいかず、ペンディングになっていたのです。そこで貝塚碑の方が先に建った。しかし、その直後に資金が集まったので、貝墟碑の方も建てることになった、ということのようです」


 場所が違うのは、当時すでに調査から50年以上経っており、正確な発掘現場の場所が分からなくなっていたから。しばらく曖昧な状態が続いていたが、「昭和52年に、モースが発掘現場の地主に保証金を支払ったとする文書が見つかりました。その場所は品川区の方でした」。

 実際に2つの記念碑に足を運んでみると、大田区側がビルの裏にあるのに対し、品川区の方は公園にモースの銅像、縄文式土器を模した公衆トイレまであり、違いは明らか。

「発掘現場がそこだっただけで、貝塚自体は広範囲にわたっていた可能性があります。しかし、お墨付きがあるのは強い。個人的には大田区側の記念碑の方が好きですね」

 両碑の間は100メートルあまり。近くには大森貝塚の資料を常設展示する「品川区立品川歴史館」がある。

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