芥川賞作家・西村賢太さん54歳で死去…日刊ゲンダイに語っていた「自分の墓」の秘話
芥川賞作家の西村賢太さんが5日朝、都内の病院で死去した。4日夜に乗車中のタクシー内で体調を崩し、病院に搬送されたが、帰らぬ人に。54歳だった。
1967年、東京都出身。中学卒業後は、肉体労働などで生計を立てながら小説を執筆し、2007年に「暗渠の宿」で野間文芸新人賞、11年に「苦役列車」で芥川賞を受賞。作品や本人の破天荒な言動などから「破滅型」「無頼派」などと評された西村さんだが、15年の日刊ゲンダイ「“極私的”東京物語」のインタビューで、自分の墓についても語っていた。
西村さんは、東京・芝公園で凍死した大正期の私小説作家、藤澤清造を「他に替え難い存在」と“偏愛”し、「歿後弟子」と称していた。「清造は幸か不幸か、病院では死ねずに公園で野垂れ死んでいるので、より多くの感慨があります」などと語っていた。
20代後半で藤澤にのめり込んでからというもの、毎年1月29日未明、藤澤の祥月命日にひとりで芝公園に足を運び、当日中に藤澤が永眠する石川県七尾市内にある菩提寺へ向かっていたというのだが……。