メガネを理由に指名漏れも…元ヤクルト古田敦也が偉大な捕手になれたワケ
全日本野球協会会長・山中正竹氏による「オリンピック野球伝道」(第5回=2020年)を再公開
日刊ゲンダイではこれまで、多くの球界OB、関係者による回顧録や交遊録を連載してきた。
当事者として直接接してきたからこそ語れる、あの大物選手、有名選手の知られざる素顔や人となり。当時の空気感や人間関係が、ありありと浮かび上がる。
今回はヤクルトでプレーした古田敦也氏について綴られた、全日本野球協会会長・山中正竹による「オリンピック野球伝道」(第18回=2020年)を再公開。年齢、肩書などは当時のまま。
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1988年ソウル五輪の代表メンバーだった古田敦也(トヨタ自動車)は、立命大4年時の87年8月に行われたアジア野球選手権でも代表入りしていた。監督の鈴木義信さん(東芝)、コーチの川島勝司さん(ヤマハ)もその頃から捕手の能力を高く評価していた。
87年のドラフトでは、メガネをかけていることを理由に指名漏れした。本人は相当に悔しい思いをしたことだろうが、88年の都市対抗ではNTT東海(名古屋市)の補強選手として出場。準優勝に貢献していた。


















