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松尾潔音楽プロデューサー

1968年、福岡県出身。早稲田大学卒。音楽プロデューサー、作詞家、作曲家。MISIA、宇多田ヒカルのデビューにブレーンとして参加。プロデューサー、ソングライターとして、平井堅、CHEMISTRY、SMAP、JUJUらを手がける。EXILE「Ti Amo」(作詞・作曲)で第50回日本レコード大賞「大賞」を受賞。2022年12月、「帰郷」(天童よしみ)で第55回日本作詩大賞受賞。

好きなロックバンドを持たなかった自分の青春は、日暮泰文の死でようやく終わった。そんな気がする。

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人生初の原稿料はPヴァインから得た

 Pヴァイン=Peavineは「豆の木のツタ」を意味する。ブルースゆかりの地である米国ミシシッピ州のデルタ地帯、その広大な綿花畑の中を豆の木のツタのように伸びる鉄道の引き込み線。20世紀初頭、黒人労働者たちを乗せてこの引き込み線を走る蒸気機関車はピーヴァイン・トレインと呼ばれ、ブルースの曲にも歌われてきた。それをレーベル名にした日暮さんの視座が、つねに被支配者側、つまり「される側」にあったことは言うまでもない。若き日暮さんにつよい影響を与えたジャーナリスト本多勝一の著作に『殺される側の論理』があったことを思いだす(いま読めば多分に感情的、煽動的な表現も気になる本だけど)。

 ぼくは学生時代に高地さんに〈見つけられた〉。文字通り発見されたのである。高地さんから依頼を受けて同社の月刊誌『ブラック・ミュージック・リヴュー』(元『ザ・ブルース』)のレギュラーライターとなり、人生初の原稿料を得た。親の名前以外で初めて記帳された振込者名は「ブルースインターアクシ」。欄内に収まりきれない長い社名に苦笑したのも懐かしい。当時スタッフ数名の同社を率いていたのが日暮さん。寡黙な彼は強面の旦那、せっかちな高地さんは話しやすい番頭さんというのが第一印象だった。

 原稿料は、わずかな額でも、まぎれもなく労働の対価だった。ぼくが音楽について書く文章はどうやら〈商品〉として通用するらしい。ならば自分はすでに社会へのパスポートを手にしたということではないか……とんだ思いあがりだが、世間知らずの大学生がそう信じ込むには、たった一回の振込で十分だった。実際のところ、それ以来ぼくは音楽と言葉だけで生計を立ててきたのだから、ふたりへの感謝は計り知れない。

 まだ大学卒業前だったか、慣れぬラジオやテレビの仕事に悪戦苦闘していたころ、日暮さんの結婚パーティーに招かれた。神宮外苑前の瀟酒なレストラン。あっちの人だかりの中心にいるのは「ポッパーズMTV」のピーター・バラカン! こっちの見憶えある美女は誰だっけ? きっとエンタメかメディアの人なんだろう。愉しい時間はあっという間に過ぎていく。でも胸のうちで肥大していく不安の種にぼくは気づいていた。新郎に人生を変えられた自分は、こんなに自信に満ちあふれた人たちのなかで、今後うまくやっていけるのか。いま自分は笑ってる場合なのか。

 どんなスリリングなブルースにもいつか終わりが来るように、このパーティーにも終宴が近づいた。ホールの扉に並ぶ新郎新婦の前に、出席者の長い行列ができる。初対面のうつくしい新婦に気の利いた言葉を贈りたいとぼくの気持ちは急くのだが、会場の華やかな雰囲気に気圧され、喉が渇いてばかり。いざ順が回ってきても自分の名前を言うのがやっと、モゴモゴと口ごもる始末。祝福するどころか新婦に気を遣わせてしまっている申し訳なさと不甲斐なさとで胸が痛い。

 すると、寡黙で知られる日暮さんが柔和な笑みを浮かべ、新妻にこう言ったのである。

「この人はね、あと何年かしたら、みんなが知るようになる人だよ」

 それから30年ほどの歳月が流れた。あのときの言葉がぼくをどれだけ支えつづけてきたか。

 日暮さんの存在はぼくにとってあまりに大きすぎて(あるいは大切すぎて)、これまで親しい人にさえ関係を詳らかに語ったことはほとんどない。好きなロックバンドを持たなかった自分の青春は、日暮泰文の死でようやく終わった。そんな気がする。ブルースマンたちが集う通夜で焼香をあげた後、そう思いあたった。斎場を出ると目黒の路地に紫陽花が咲いていた。

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