アルバム「TOKIO」は編曲こそ派手派手だが、身ぐるみを剥がすと70年代が現れる
しかし、である。残念なのは楽曲そのものの70年代性、ひいてはオールドウェーブ性が、アルバムの印象を曖昧にしてしまうことだ。もちろん、その背景にはすでにご紹介したように、沢田研二自身の感性がまだ、ニューウェーブに追い付いていなかったこともあろう。
ニューウェーブにずぬけているのは、楽曲「TOKIO」ぐらい。あとの曲は後藤次利の編曲こそ派手派手だが、その身ぐるみを剥がすと、もろ70年代の沢田研二が現れてくる。糸井重里と後藤次利に加え、康珍化のニューウェーブ勢は、阿久悠、大野克夫、井上堯之、喜多條忠、りりィというオールドウェーブ勢に押しやられる。
「TOKIO」に加え、糸井重里の、もう1曲の作詞作品は「MITSUKO」。ローマ字タイトルは共通だが、さすがの糸井重里も「ミツコ」という昔の女にウジウジする70年代の世界観に引き戻されるような歌詞世界となっている。
あと、やっぱり沢田研二の歌がうますぎる。ニューウェーブたるもの、もっと「ヘタウマ」(当時はやった言葉)でなければならない。
要するにアルバム「TOKIO」は、まさに「70年代と80年代のはざまの作品」だったといえる。




















