沢田研二は「いたずら心みたいな感じで」80年代の扉を蹴り上げた
1980年の沢田研二②
ここで1980年の沢田研二を再度概観する。「TOKIO」の前作シングルは、79年9月発売の「ロンリー・ウルフ」。地味な作品で売上枚数8.9万枚、オリコン最高位は18位にとどまった(ちなみに、さらにその前作「OH!ギャル」は最高5位)。
対して80年元日発売の「TOKIO」は、巨大なパラシュートを背負う見てくれも奏功し、33.8万枚を売り上げ、最高8位へと盛り返す。ただ、ここで補足すれば、あの「TOKIO」ですら、8位なのである。
本連載で紹介するシングルは、某2曲の6位がオリコン最高位。逆にいえばベスト5以内のヒットは一曲もない。これが「80年代前半の沢田研二」のセールス上の真実だ。
さて、音楽ファン(マニア)向け雑誌「ミュージック・マガジン」の80年1月号の表紙が、沢田研二だったことをご存じの方はいるだろうか。実写ではなく河村要助のイラストなのだが、茶色のハットをかぶり、たばこをふかした沢田研二が表紙にドーンと置かれている。
天下の「ミュージック・マガジン」の80年代しょっぱな号の表紙で、かつ、その号の特集は「ズバリこうなる!80年代」。いかに音楽家・沢田研二が、80年代のキーパーソンだと思われていたかを示している(余談だが、この号は、雑誌のタイトルが「ニューミュージック・マガジン」から「ニュー」が取れて「ミュージック・マガジン」となった最初の号)。


















