【矢沢永吉】キャロルとジュリー、ロックンローラーたちの一瞬の「邂逅」
沢田研二と矢沢永吉。この1歳違いのロックンローラーたちの音楽活動が交差することは、ほとんどない。数少ない接点といえば、矢沢永吉にインタビューをして『矢沢永吉激論集 成りあがり How to be BIG』(小学館~角川文庫、累計200万部!)をまとめた糸井重里が『TOKIO』『恋のバッド・チューニング』(ともに80年)の作詞をしていることぐらい……。
……などと思っていたので、沢田研二が矢沢永吉率いるキャロルのレコーディングを見学したことがあるという話を知って驚いた。驚きのエピソードが明かされたのは『成りあがり』に続く矢沢永吉の自伝本『アー・ユー・ハッピー?』(日経BP~角川文庫)。これ、もう最高なので、そこから引用する(改行省略)。
──レコーディングに沢田研二が来たことがあった。ジュリーはもう時の人だった。沢田研二にしてみたら、キャロルってすごいバンドがいるらしいって聞いて、見に来たんだろうけど。
単なる見学に終わらず、2人はその場で言葉を交わした。
──オレは「わっ、ジュリーだよ」って興奮した。 「よろしく」沢田研二にそう言ったら、「がんばって」と彼は言った。「ありがとうございます」って言ったときは、もう何回か言葉かわして、「オレたちはもうダチだよ」っていうような気持ちだった。
矢沢永吉は、これを機に沢田研二と友だちになろうとする。
──「友達じゃん、オレたち」 「電話番号教えるからさ」とメモを渡した。でもそんとき、オレは電話を持ってなかった。 「服部方(呼)~」 メモにそう書いて渡した。アパートの大家の服部さんの電話番号で呼びだしてもらうってことだ。
しかしもちろん、電話はかかってこなかった。
──「やっぱり雲の上の人なんだな。えらいってこういうことなんだな。えらくならなきゃいかんのかな」と思った。呼び出し電話じゃダメなんだ、部屋に電話のある男になりたいと思った。
「部屋に電話のある男になりたい」。いい言葉ではないか。かくして矢沢永吉は、電話どころか、すべての成功を我が物にするロックンローラーに成りあがった。
それにしても、このエピソードは、いつ頃の話なのだろう。仮にキャロルのデビューの翌年1973年だったとすると、沢田研二が『危険なふたり』、キャロルが『ファンキー・モンキー・ベイビー』の年だ(ちなみに、シングル『ファンキー・モンキー・ベイビー』が発売された1973年6月25日は、沢田研二25歳の誕生日)。要するに、どちらもロックンロールだ。だから2人はロックンローラー同士、そして同志だ。
18歳でデビューして25歳、多少の浮き沈みはあったものの、一貫してスターダムを歩み続けた芸能エリートの沢田研二。対して、完全たたき上げ・成りあがり、この年26歳になる矢沢永吉。2人のロックンローラーが交差した瞬間──。
先のエピソードのオチを勝手に妄想する。2025年某日、矢沢永吉のスマホが鳴る──「沢田研二です。やっとつながったわ。服部さんのアパート、ずっと電話つながれへんかってんもん」。
■連載「沢田研二の音楽1980-1985」が書籍になりました。4月25日に発売!
「沢田研二の音楽を聴く1980-1985」(日刊現代・講談社 1980円)




















