いなくなった昭和型の名将…それでも起こる「甲子園の奇跡」
2015年に行幸なったペリリュー島最後の輸送船の船員さん。「戦場にかける橋」の泰緬鉄道建設に携わった兵隊さん。ソ満国境警備隊の狙撃兵。すでに多くの方は鬼籍に入られました。
皆さん、私の患者さんでしたが、誰一人、多くを語りませんでした。想像を絶するような経験は、言葉などでは到底伝えられないものなのでしょう。ただ、語って伝わるものはなくても、その表情、たたずまいは私に重いものを伝えていました。
そんな彼らにとって私の心臓外科手術はどうだったのか。やはり死線をさまよう苛烈な関門だったはずですが、おそらく何か強い力ではね返したのでしょう。80歳を越える年配の患者さんは、誰しもあの戦争と戦後の動乱期を生き抜いた方です。「長幼の序」をはるかに超えた畏敬の念を禁じ得ません。
多くを語らず、と言えば横浜高校の監督だった渡辺元智さんを思い出します。私が大学生だった1982年、本屋で「落ちこぼれの甲子園」(軍司貞則)に出合いました。渡辺元智さんの物語です。あまりの面白さに一日で読み切りました。渡辺さんが20代前半で監督を任されたときの様子が、渡辺監督だけでなく、奥さんや、下宿していた当時の中心選手、松岡信哉さんの生い立ちが語られていました。それらの内容は壮絶でした。


















