誰にでも忍び寄る認知症の恐怖…橋幸夫は団塊世代の青春そのものだった
橋は17歳のデビュー曲「潮来笠」が120万枚と大ヒットして、「高校三年生」の舟木一夫、「君だけを」の西郷輝彦とともに「御三家」といわれた。
吉永小百合とのデュエット曲「いつでも夢を」もミリオンセラーになり、日本レコード大賞を受賞。「霧氷」で2度目のレコ大を受賞した、団塊世代にとって忘れられない“青春を共にした”大歌手である。
文春によれば、母親も橋と同じ82歳で認知症を発症していた。認知症の初期症状である「誰かが私のものを盗んだ」という被害妄想から始まり、幻視、所かまわずの排泄。
橋がその様子を赤裸々につづった「お母さんは宇宙人」(現在は角川文庫)を1989年に出版すると、大きな反響を呼んだ。
橋はステージで歌詞を間違えても飛ばしても全然慌てず、「あ? わかんなくなっちゃったな」といって、客を笑わせることができた。認知症とわかっても橋の「死ぬまで歌う」という信念が揺らぐことはなかった。
しかし、9月1日、橋の所属する「夢グループ」の石田重廣社長が、6月のステージ後に入院したことを公表し、橋の容体は「僕の顔も忘れる。言葉も忘れる。ずっと寝てます」と語った。そして、橋はついに帰らぬ人となった。いずれ私にも、そんな日がくるのだろうか。