和田アキ子が耐えたホリプロ暗黒時代“低賃金労働”の現実「アッコにおまかせ!」ついに終了で振り返る
■山口百恵の引退で音楽事業の売上げが6分の1程度に激減
「百恵さんが引退する80年まではベストテンに入っていましたが、翌年から圏外になり、82年には55万枚(19位)にまで落ち込みました。4年前の6分の1程度です。音楽事業の稼ぎが落ちた事務所を救ったのがアッコさんでした」
和田は73年、「金曜10時!うわさのチャンネル!!」(日本テレビ系)にレギュラー出演。男勝りの体格と歯に衣着せぬ言動が話題となり、バラエティー界で人気を得る。だが、歌手活動に精を出すため、78年に同番組を降板。日テレ出入り禁止の憂き目に遭うが、80年代にバラエティーに復帰し、83年に著書「和田アキ子だ!文句あっか!」が120万部の大ベストセラーに。「芸能界のご意見番」の地位を得て、複数のレギュラー番組を持った。
「昭和40年代から事務所内に『ホリ企画制作』がありましたが、冠番組を持てるアッコさんがいたから、制作としても番組に関わりやすくなり、会社の利益が上がった。アイドルで売り出すはずの井森美幸や山瀬まみがバラエティーでブレイクしたのも、アッコさんがいろんな番組で司会をしていたから、売り込むチャンスが広がった」


















