(1)百恵を発見した男たち(1972年)デビュー前の百恵を「スタ誕」生みの親や都倉俊一はどう見ていたのか
阿久は百恵の「歌には、強烈な印象を受けなかった」、全体の「インパクトは、とても桜田淳子の比ではなく、後の百恵神話を予測させるものはほとんどなかった」と自分の見る目がなかったことを認めている(阿久著「夢を食った男たち」)。
都倉は「正直いって、無愛想なヘンな娘だった。13才にしては大人っぽく見えましたね」「まあまあだった。でも、何か13才の女の子にはないものをもっている」と当時、週刊誌で語っている。百恵は入賞し、12月の決戦大会に出て、2位となった。獲得を希望するプロダクション・レコード会社は十数社あった。
ホリプロ社長の堀威夫の百恵の第一印象は「歌はけっしてうまくはないが、コロコロとした感じの可愛らしい少女」だった(堀著「いつだって青春」)。ホリプロは「スタ誕」で森昌子を獲得した後、独自に同年生まれの石川さゆりも獲得していた。そこで同じ年ごろの子をもうひとり入れて「ホリプロ3人娘」にしようと考え、桜田淳子の獲得も目指した。だが日テレは、売れそうな子がホリプロにばかり入ると他のプロダクションが番組に協力してくれないと考え、淳子をライバルのサンミュージックに入れた。そこに百恵が登場した。堀は今度こそと全力で取りに行った。


















