(1)今も新宿ピットインのライブは満席
大学卒業後、広島から上京してプロ活動を始めた坂田は、1972年に山下洋輔トリオに加入し、日本のフリージャズシーンの最前線に躍り出た。山下のピアノと森山威男のドラムスが荒々しくも緻密に織り上げる音の壁に、坂田のサックスが強烈なエネルギーで斬り込んでくる。新宿ピットインのステージは超満員で、失神者まで出たという。
一方で坂田は、赤塚不二夫やタモリといった面々と交流を重ね、ナンセンスの美学を磨き、「ハナモゲラ語」の原型を生んだ。広島大学の水産学科卒業という経歴を生かしたミジンコ研究家でもあり、アイヌの音楽に深く傾倒し、ステージでは反戦と平和を語る。そうした活動は自由奔放、変幻自在で痛快無比に映る。そんな坂田が、ふと真顔で語ることがある。
「音楽をやるってことは、つまりは命を表現しているってことなんだ」
どれもが坂田の「顔」であり、いずれも真剣そのものだ。
いったい、坂田明とは何者なのか。生真面目でアナーキーな坂田は、埼玉県蕨市にある築66年になる自宅で、背中を丸めながら静かにこれまでの日々を語り出した。 (敬称略)


















