(21)氏親は武将というには優しげ
宗長が二十九の時、先の当主である今川義忠が亡くなった。
その後、京に上った宗長は、禅寺の一休宗純の元で修行に励んでから、連歌師宗祇の弟子として各地を回り、旅から旅への日々を過ごしていた。
「なかなか駿府に居つかず、申し訳ございません。されど、御館様も、御達者そうで…
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