松尾雄二さん(4)釜石時代は勤務中も体を鍛えた…ラグビーのための筋肉づくり
「勉強するな」「動物の勘で生きろ」と父親に言われ、育てられた松尾さん。実は足が遅いことがコンプレックスでした。それを克服するために相手をかわす、抜く練習をしたのです。ますます、動物的勘が冴え渡っていったのは想像に難くありません。中学は成城学園中に進みますが、高校は退学になってしまいました。
──中学校から本格的なラグビーを?
「当時、都内の中学でラグビー部があったのは青山学院、慶応普通部、中等部、成蹊、麻布、成城でした。成城は弱小チームでしたが、僕がいる間に優勝するまでになりました。朝、昼、晩と練習ばかりしてましたね。まわりは嫌だったかもしれないけど、僕は苦になりませんでした」
──高校は目黒高校になっていますが。
「成城高に進んだんですが、まったく勉強せずにラグビーばかりやっていたんです。ちょうど、その頃、成城学園も学力重視に変わってきて、退学になりました。親父もそれでいいと言ったんですが、ラグビーは一人じゃできないでしょう。退学後は毎日走るだけでした。そうしたら、親父の知り合いが『どうするんだ、中卒じゃしょうがねえぞ』って心配してくれて、明大ラグビー部の北島忠治監督を紹介してくれたんです。そこで、父親と一緒に八幡山の明大のグラウンドに北島監督を訪ねたら、『明日から目黒高校へ行け』となったんです」


















