萩本欽一〈40〉バイト中に傷をつけてしまった車の持ち主の家を数十年越しに訪ねたら、500坪の大豪邸だった
ご祝儀が嫌いなワケ
萩本「その人が急に『オマエ!』って言ったと思ったら、こうやってまっすぐ立って『ごめん。俺もアルバイトから始めてこうやって今、会社の社長やってんだよ。そのことを思い出しちゃった。ごめんな。ちょっと待って。これ俺の名刺だ。困ったことがあったらここに来なさい』って名刺をくれた」
増田「それも出会いですね」
萩本「それで車に乗って行っちゃったの。でもね、失礼だけど、そのあと名刺がどこ行ったかわかんないんだよね。恩返ししなきゃと思ってても連絡しようがなくなった。家も出ちゃったしさ。でも、そういうのも運だね」
増田「運がきましたか、やっぱり」
萩本「視聴率30%に行って休養宣言した時にその人から手紙が来た。欽ちゃんが頑張ってる時に名乗るのはみっともないと思ってたけど、番組を全部やめて休むって言った今なら、なんか名乗れる気がしたって」
増田「手紙が来たんですね」
萩本「うん。それで手紙にあった住所を頼りにその人の家を見に行った。500坪ぐらいの家に住んでた。やっぱりね、優しいっていう人は成功してるなと思った」
増田「そうですか」
萩本「うん。で、恩を返そうと思って、その人の会社の何十周年記念っていうのがあるってんで、そこへ顔出したりしたよ。それから劇場の切符を、『奥さんと一緒に見に来てください』って渡したり。そしたら芸能界のことちょっと知ってるのかね、ご祝儀持ってきたのよ。俺ね、ご祝儀って好きじゃないの。もらったことないのよ。だから芸能人として何周年記念ってやってないし結婚式もやってない。ご祝儀くるからやってないんですよ。それがその社長、ご祝儀を置いてくの。本当はね、ずーっとね、少しずつ恩返ししたいと思ったんだけど、これだと恩返しも難しいなと思った。あえて恩返し恩返しっていうと向こうが気を使うから、それがつらいんで今はお付き合いしてないんです」
増田「また気を使わせちゃうのがつらいんですね」
(つづく=火・木曜公開)
▽はぎもと・きんいち 1941年、東京都生まれ。高校卒業後、浅草での修行を経て、66年にコント55号を結成。故・坂上二郎さんとのコンビで一世を風靡した。その後、タレント、司会者としてテレビ界を席巻し、80年代には週3本の冠番組の視聴率がすべて30%を超え、「視聴率100%男」の異名をとった。社会人野球「茨城ゴールデンゴールズ」の初代監督、2015年には73歳で駒澤大学仏教学部に入学するなど挑戦を続け、25年10月にスタートしたBS日テレ「9階のハギモトさん!」は今年4月からSEASON3に突入した。
▽ますだ・としなり 1965年、愛知県生まれ。小説家。北海道大学中退。中日新聞社時代の2006年「シャトゥーン ヒグマの森」でこのミステリーがすごい!大賞優秀賞を受賞してデビュー。12年「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」で大宅壮一賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞。3月に上梓した「警察官の心臓」(講談社)が発売中。現在、拓殖大学客員教授。



















