ニワトリを「育てる」と「殺す」の両方を体で実践「鶏まみれ」繁延あづさ著
「鶏まみれ」繁延あづさ著
食鳥処理工場でアルバイトを始めた1日目。著者はとんでもない体験をする。全身を覆うレインコートのような作業着はニワトリの血や汚物でべっとり汚れ、メガネにも飛び散った。
ことの発端は「養鶏しようかな」という夫のひと言だった。夫はリストラで失業中。著者は雑誌や広告写真のカメラマン。2011年に東京から長崎に移住、2男1女を育てながら働いている。長男が小6のとき、ニワトリを飼いたいと言い出して、庭先養鶏を始めた。卵を産まなくなると葛藤しながら親鶏を絞め、丁寧にさばき、とびきりおいしくいただく。そういう生活をしていた。けれど、職業としての養鶏となると話は別。最終的に親鶏を肉にして売るには「食鳥処理衛生管理者」という資格がいること、資格取得には食鳥処理施設で3年以上の経験が必要なことがわかった。
というわけで、著者は冒頭のアルバイトに飛び込む。器具に逆さ吊りにされてどんどん流れてくる生きたニワトリの首を切り、放血、湯漬け、脱羽、内臓の腑分け。「生き物」を「食べ物」にする仕事は怖くて、しんどくて、ひどく汚れた。職場の先輩たちは後期高齢者や障害者や外国人。きれいにパッケージされた鶏肉がスーパーに並ぶ前に、こんなすごい仕事があって、それを引き受けているすごい人たちがいる。なのに、最低賃金。著者は驚き、感激し、なぜ? と問う。
そうこうするうちに養鶏場計画も少しずつ現実となり、美しい谷あいの土地に平飼いの鶏舎ができた。ヒヨコから育てた「コッコたち」が砂浴びしたり、とまり木を歩いたりしている。大好きな風景を眺めながら、著者は思う。いつかは殺すから、少しでも快く健やかに生きてほしい、と。
私たち現代人は、誰かが育て、誰かに殺してもらった肉を食べて生きている。生き物を「育てる」と「殺す」の両方を体で実践してきた著者の思考は、人の営みの根源へと深まっていく。生き物を殺すことがすべて機械化されたら、人は相手が生き物であることさえ考えなくなるかもしれない。食肉処理も戦争も同じ。本作は家族養鶏体験記から大きくはみ出した、すごい本なのだ。
(亜紀書房 2420円)



















