「忘れ難い経験をしても、それを言葉にしておかないと、いつか霧のように消えてしまいます」──「刑務所の文章教室」大塚敦子氏
「刑務所の文章教室」大塚敦子著
著者が米ワシントンD.C.のがんセンターで「心のライティング」を知ったのは、2001年。がん患者も家族らも不用意な発言を避けようと言葉少なになりがちなため、「失われた言葉を取り戻す」を目的とするワークショップ形式の文章教室だ。心身の健康に効果があり、欧米で図書館や生涯学習センターなどでも行われていたが、日本は導入されていなかった。長い年月を経て、2018年から開始。現在は国内3つの刑務所で実施する。
「島根と山口などにある社会復帰促進センターです。以前から訓練生(受刑者)が盲導犬候補の子犬を育てるプログラムに関わっていた中で、その稀有な経験を、一言『よかったです』としか表現できない人がいたんですね。忘れ難い経験をしても自分がどう理解したのかなどを言葉にしておかないと、いつか霧のように消えてしまいます。そんな体験から思いを言語化するには『書く』、内省力をつけるには『心のライティング』が有効だとの思いを強くしました。アメリカの刑務所などで実践方法を学び、センターに提案。ついに始めることができたんです」
本書は、心のライティング形式の「刑務所の文章教室」の記録だ。希望者の中から選定された5~6人が、5~8回のプログラムに連続参加する形で行われる。
内容は独特で、その日の気持ちを聞く「チェックイン」などの後、散文や詩、物語など創作ワークをし、参加者でシェアする。「シェアしたくない事柄は言わなくていい」「進行役(著者)も参加者も、作品を批評しない」「感想を言うならポジティブなことだけ」などのルールにのっとる。
現在を俯瞰するとともに、未来を思うことにつながる
「父親から激しい虐待を受けて育った女性は、風俗店で働いていた17歳のとき『過去のつらいことが忘れられるのなら』と違法薬物に手を出したことがきっかけで、センターに来た人でした。『自分を食べ物に例える自己紹介』に『いろいろな具材が入っているカレーライス』と話したときは無表情でしたが、回を重ねるうちに笑顔が出るように。『生きているって 幸せやつらいやイライラのたくさんの感情を持っている(後略)』と素晴らしい詩を書いたんです」
多くの訓練生は、鉛筆を持つ行為そのものに慣れていないところからのスタートだが、心に浮かぶことをそのまま書くことは、過去を振り返り、現在を俯瞰するとともに、未来を思うことにつながるという。
「走る車の窓から犬が捨てられるシーンから始まる絵本をテキストに、『犬のセリフを考える』ワークをしたときのこと。別れ話のもつれからハンドル操作を誤り、助手席の彼女を死なせてしまってセンターに来た男性が書いたセリフは、捨てた飼い主を『許さん!』。笑顔で近づいてきた少年には『なにガン飛ばしてんだ?』。でも、そうやってやさぐれを表出した後、彼は事件を振り返った後悔と思える言葉を初めて紡いだんですね」
本書には他にも絵本をもとに物語を書くなど、さまざまなワークを通して変化していく受講生たちの姿が克明につづられており、興味が尽きない。
「書き終わって、改めて言葉の持つ力の大きさを感じました。お読みになった方には、受講生たちの言葉の中に、自分の心と共鳴するものを見いだしてほしいですね」
巻末に「一人でできる文章創作エクササイズ」も。読後、「心のライティング」に挑戦したくなること必至だ。 (紀伊國屋書店 2200円)
▽大塚敦子(おおつか・あつこ) ジャーナリスト、ノンフィクション作家。困難を抱えた人と動物の絆などをテーマに執筆。「さよならエルマおばあさん」で2001年講談社出版文化賞絵本賞、小学館児童出版文化賞受賞。「いのちの贈りもの」「保護ねこものがたり」など著書多数。



















