無名の10代だった中島美嘉 “歌姫”誕生の瞬間
「傷だらけのラブソング」(2001年/フジテレビ系)
ハンバーガーが65円、牛丼が280円──21世紀最初の年、「自民党をぶっ壊す」なんて言ってた小泉純一郎氏が人気だった2001年って、こんな感じだった。
そうそう、21よりハタチのほうがインパクトがあったように、01年になったからといっても気分が劇的に変わったわけではない。ADSLが急速に普及して、ネットで動画を見ることが現実的にはなったのだけど、世の中のテレビはまだ9割以上がブラウン管だった。録画もまだGコードでVHSが主流。
当時のテレビは、「ヒット曲を生み出す装置」として、その機能を全開にしていた。1990年代からのドラマ主題歌がミリオンを連発していた流れと並行して、後半にはポケビやブラビといったバラエティーの企画で生まれたユニットが活躍。98年の野猿はとんねるずが絡んでいたとはいえ、照明や録音などの現場技術者までもが人気アーティスト化するし。
ウンナンの「未来日記」からは「TSUNAMI」や「桜坂」といったメガヒットも生まれた。そして00年には、連ドラ「愛をください」で主演の菅野美穂(当時23)が劇中で歌った「ZOO」があちこちのコンビニで流れた。


















