天野篤氏が語る ノーエリートが“天皇の執刀医”になるまで
私の大きな転機は46歳でした。2002年7月、順天堂大学医学部から教授として声をかけていただいたことです。
それまでの私は出身大学である日本大学の医局にも属さず、一匹狼のような心臓外科医でした。県立浦和高校2年生の時、父親に心臓弁膜症が発覚して医師を志したものの、医学部…
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