津野田興一
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津野田興一都立立川高校教諭

1965年生まれ。東京都立大学大学院人文科学研究科史学専攻修了。現在、東京都立立川高校で世界史を教える。著書に「世界史読書案内」(岩波ジュニア新書)、「やりなおし高校世界史―考えるための入試問題8問」(ちくま新書)、「第2版 ポイントマスター世界史Bの焦点」(山川出版社)など。

パルテノン神殿は苦難の連続…ではその彫刻は誰のもの?

公開日: 更新日:

 さて今回はクイズです。図②は2015年10月18日のGoogleのトップ画ですが、何が描かれているか分かりますか? ギリシアの首都アテネにある世界遺産のパルテノン神殿です。この連載の第9回でも取り上げました。では、中央の女性はいったい誰なのでしょうか?

 さらに2つ目のクイズです。パルテノン神殿にはギリシアを代表する、実に見事な大理石の彫刻があります。これはいったいどこの国のものでしょう?

「もちろんギリシアのものですよ」と答えた方、実際はそんな単純な話ではないのです。

3度破壊された!

 私の知る限り、パルテノン神殿は3度にわたって破壊されています。1度目は392年にローマ帝国最後の統一皇帝であるテオドシウス帝(在位379~395年)が、キリスト教を唯一の宗教としたために、女神アテナを祭るパルテノン神殿は打ち捨てられました。言ってみれば「神殺し」がなされたのです。

 2度目はオスマン帝国がパルテノン神殿を弾薬庫として利用していた1687年、ヴェネツィア軍の攻撃を受けて引火・爆発しました(図③)。この時に天井が吹き飛ばされ、現在のような雨ざらしの姿となったのです。

 そして3度目が今回扱うイギリスの略奪による破壊でした。

■賄賂と持ち出し

 イギリスが世界に誇る大英博物館の中でも、飛び切りの目玉作品のひとつに、パルテノン神殿の彫刻群があります。しかし、それが遠く離れたイギリスにあるのはなぜなのでしょうか?

 写真④は大英博物館に展示されている彫刻です。パルテノン神殿の「破風」(屋根下部の壁面)にあったものが引き剥がされて運ばれました。今から200年ほど前、イギリスの貴族であるエルギン卿が入手したもので、「エルギン・マーブル」と呼ばれています。

 イギリスは当時、インドへの交易ルートの確保を狙い、その途上に位置するギリシアを支配していたオスマン帝国に対し、影響力の拡大を図っていました。さらに、当時ナポレオンもパルテノン神殿の彫刻を狙っており、エルギンとしては何としても彫刻を確保したかったのです。

 この頃オスマン帝国は、フランス軍の侵入に伴うエジプトの独立運動に悩まされていましたが、イギリスの軍事力がそれを解決したため、パルテノン神殿の調査などの権利をイギリスに認めました。「返礼」の意図を込めたと考えられています。そして、エルギンはオスマン帝国の高官に賄賂を贈り、調査の許可を拡大解釈するなど、強引なやり方で彫刻群を持ち出しました。

 実際には正式な許可証などの資料は残っておらず、許可を得たのかどうか怪しいのですが、エルギンはめぼしい彫刻をすべて剥ぎ取り、私財を投じてイギリスへと運んでしまいました。

 これらの彫刻群は、破産に瀕したエルギンから大英博物館が購入し、現在に至っています。

 1830年にオスマン帝国からギリシアが独立すると、ギリシア政府はイギリスと大英博物館に何度も彫刻の返還を要求し続けます。しかし、認められることはありませんでした。

■メリナ=メルクーリ

 さて、ギリシアの国民的な映画俳優のひとりに、メリナ=メルクーリという女性がいます。「日曜はダメよ」(写真⑤)などの映画作品で世界的な名声を得た人で、1981年にギリシアの文化大臣に就任します。長らく軍政が続いたギリシアにおける民主国家への脱皮を示すエピソードです。メリナ=メルクーリは国家の至宝である彫刻群を取り戻すための活動を積極的に開始しました。【資料】に見られる彼女の講演からは、ギリシア国民の「思い」というものを感じます。

 ここで冒頭のGoogleのトップ画の答えを明かしましょう。実はメリナ=メルクーリの生誕95周年を記念するものでした。

■大英博物館の「罪」

 ギリシアから彫刻を盗んだのはエルギンでしたが、大英博物館は“盗品”に関してどのように考えているのでしょうか? ニール=マクレガー館長は世界各地の遺物と共に大英博物館において無料で展示される「エルギン・マーブル」は、ギリシアというローカルな場で展示されるよりも普遍的な価値を表現するにふさわしいと主張しています。また、ギリシアでは大気汚染によって彫刻群がダメージを受けてしまうため、大英博物館で保管した方がよいのだとも強調しています。本当でしょうか?

 実は衝撃的な事実が1998年に明らかになっています。大英博物館は1930年代、彫刻群の表面を金属たわしと研磨剤でこすって削っていたのです。

 このクレンジングによって彫刻群は確かに真っ白な大理石となりましたが、古代ギリシア当時のものとは「似て非なるもの」になってしまいました。

 パルテノン神殿本体にわずかに残った彫刻などの裏側から、断片的ではありますが、塗装の跡が発見されています。つまり、パルテノン神殿と彫刻群は、私たちが知っている真っ白いものではなく、極彩色に彩られていたのです。大英博物館は彫刻群を台無しにしてしまったどころか、その事実を隠蔽し続けてきたのです。

「彫刻群をギリシアに置いていては世界の貴重な遺産が破壊されてしまう」という大英博物館の論拠は、ブーメランのごとく自らに突き刺さったと言わざるを得ません。

■歴史の「宿題」

 こうして振り返ると、日本も含めた世界の著名な博物館に収蔵されている品々には、それぞれの歴史的背景があり、時には略奪同然に集められたものもあったのかもしれない、と考えさせられます。大英博物館がパルテノン神殿の彫刻群の返還問題に直面しているように、あまり知られていない歴史の「宿題」は、きっとたくさん残されていることでしょう。

【資料】

 パルテノン・マーブルが私たちにとって何を意味するのか、理解してもらわねばなりません。それは私たちの誇りです。私たちのささげ物です。それはギリシャの卓越さのもっとも気高いシンボルです。民主的哲学に対する賛辞です。そして、私たちの大志であり、名声でもあります。それは、ギリシャ的なものの神髄なのです。

 私たちは、エルギンの行状を問うことには意味がないと決断することもできます。英国政府にこう申し上げたい。あなた方は彫刻を二〇〇年近く手元に置いておられた。できる限りの世話をしていただいたようで、それにはお礼を申し上げます。しかし、公明正大さと道徳心の名の下に、どうかそれらの彫刻を返してください。そうすることによって、英国にふさわしい名誉が与えられるでしょう。(1986年オクスフォード・ユニオンにて)

朽木ゆり子著パルテノン・スキャンダル 大英博物館の「略奪美術品」(新潮選書、2004年)から

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パルテノン・スキャンダル 大英博物館の「略奪美術品」

朽木ゆり子著(新潮選書 2004年)

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