津野田興一
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津野田興一都立立川高校教諭

1965年生まれ。東京都立大学大学院人文科学研究科史学専攻修了。現在、東京都立立川高校で世界史を教える。著書に「世界史読書案内」(岩波ジュニア新書)、「やりなおし高校世界史―考えるための入試問題8問」(ちくま新書)、「第2版 ポイントマスター世界史Bの焦点」(山川出版社)など。

世界の運命決めたチャーチル×スターリン2つの会談

公開日: 更新日:

 写真①をご覧ください。どうやら手書きのメモのようですね。国の名前と数字などが書かれているようです。実はこれがヨーロッパ諸国の運命を決めたメモだったのです。いったい、どのような内容なのでしょうか?

■百分率協定

 史上空前の規模となった第2次世界大戦は、連合国(米英ソなど)と枢軸国(日独伊など)との戦争でした。ヨーロッパ戦線においては、1944年6月のノルマンディー上陸作戦が成功したことにより、連合国側が有利な局面に入りました。

 そのような中、イギリスの首相チャーチルはモスクワに飛び、同10月9日の夜10時にソ連の指導者スターリンとの極秘会談に臨みます。そこでおこなわれたやりとりは、のちにノーベル文学賞を受賞するチャーチルの記録「第二次世界大戦」(※資料)に生々しく記されています。ここで議題となったのは「バルカン問題」です。ナチス=ドイツを撃退したあと、ヨーロッパ中部から南東へのびるバルカン半島の独立国家に対する影響力を、イギリスとソ連とで相互に取り決めようとしたのでした。その影響力をパーセントで表して互いの勢力圏を認め合うとは帝国主義時代のような政治力学がまかり通っていたのですね。俗に「百分率協定」と呼ばれるこの原則が、その後のヨーロッパの歴史を強く縛り続けるのです。

※資料
 機は熟していた。そこで私(チャーチル)はこういった。「バルカンの問題を解決しようではないか。貴下の陸軍はルーマニアとブルガリアにいる。われわれはそこに関心と使節と諜者を持っている。つまらぬ点で誤解するのは避けよう。イギリスとソ連に関する限り、貴国がルーマニアで90パーセントの優位を保ち、ギリシアについてはわれわれが90パーセントの発言力を持ち、そしてユーゴスラビアでは五分五分でいくことにしたらどうだろうか?」これが通訳されている間に、私は半葉の紙に、次のように書き出した。

ルーマニア ロシア…90%
他国…10%
ギリシア イギリス…90%(合衆国と一致して)
ロシア…10%
ユーゴスラビア 50%-50%
ハンガリー 50%-50%
ブルガリア ロシア…75%
他国…25%

 私はこれをスターリンの前へ押しやった。このときすでに彼は翻訳を聞き終わっていた。少し話が途絶えた。それから彼は青鉛筆を取り出して大きな印をつけ、われわれのほうへ紙を戻した。これを紙に書くほどの時間もかからずに、すべてが決まったのである。

(W・S・チャーチル著 佐藤亮一訳「第二次世界大戦 4」河出文庫2001年から)

■鉄面皮

 スターリンとの会談の際に、チャーチルがメモ書きし、相手に示したものが写真①なのです。右上にスターリンが青鉛筆で書いたチェックマークも、くっきりと見えますね。これにより、東欧諸国の運命が決まってしまいました。

 チャーチルは少しバツが悪そうに、「何百万の人々の運命に関する問題を、こんな無造作なやり方で処理してしまったように見えると、かなり冷笑的に思われはしないだろうか?」などとスターリンに言ったと書いています。「この紙は焼いてしまいましょう」と言ったチャーチルに対し、スターリンは「いや、取っておきなさい」と言ったそうです。

 どうもチャーチルのアリバイのような記述ですが、これが本当だとしたらスターリンのおかげで、会談のとんでもない舞台裏を知ることができたわけです。このメモ書きは、イギリスの国立公文書館に保管されています。チャーチルがイギリスの国益のためにスターリンと裏取引したことは歴史から消すことはできません。チャーチルはそれを、しゃあしゃあと記録して出版したのですから、鉄面皮と言わざるを得ないでしょう。

■ヤルタ会談

 ところで、この話には後日談があります。それは1945年2月5日の「ヤルタ会談」(写真②)です。病魔におかされていたアメリカ大統領フランクリン=ローズヴェルトを慮ってか、米英ソの3巨頭が集まったのは、ソ連の領土であるクリミア半島の保養地として知られたヤルタでした。

 この時、ローズヴェルトは体力がもたず、協議中に何度も居眠りをしてしまったそうです。そのため、世界の運命を決めた会談は、またしてもイギリスのチャーチルとソ連のスターリンの手に委ねられました。では、それぞれの思惑をまとめておきましょう。

■3巨頭の思惑

 まずソ連のスターリンは、ドイツ軍によって国土の奥深くまで攻め込まれたことから、国防上ソ連の国土を最大化すると共に、周辺諸国をできるだけ親ソ政権で固めたいと考えました。先の「百分率協定」に基づき、東欧諸国への勢力拡大を露骨に求めます。

 次にイギリスのチャーチルは、インドへのルートを確保するために、ギリシアを勢力圏にとどめておく必要を感じていました。これもまた「百分率協定」の延長線上ということになります。さらに、イギリスが第2次世界大戦に参戦したきっかけともなったポーランドの再建にも強い意欲を持っており、会談では最も長い時間をかけて協議しました。しかしこの点について、ロンドンに拠点を置いたポーランド亡命政権ではなく、ソ連の息のかかった共産主義者による政権の樹立を望むスターリンとの間で利害が鋭く対立しました。

 アメリカのローズヴェルトは、国際連盟にかわる国際機構の再構築に加え、アジア・太平洋方面における対日戦の早期終結に向け、一刻も早いソ連の参戦を引き出すことを狙っていました。

■共産圏の拡大

 ヤルタ会談での合意事項は、おおむね次のようになります。

 まず、新たに再建される国際機構(国際連合のこと)において、大国の一致を原則とする拒否権を認めました。これが現在まで続く国際連合の背骨となります。

 次にヨーロッパにおいては、ソ連とイギリスとの勢力分割を基本的に確認します。この結果、大戦後には地図③に見られるような東西陣営の区分けがなされると同時に、ドイツは分割占領されたのでした。イギリスの影響力を半分としたハンガリーやユーゴスラビアも、共産主義陣営に組み込まれたため、イギリスはソ連に押し込まれたと言っていいでしょう。「百分率協定」では定められていなかったポーランドにも共産主義政権が樹立され、ソ連が東ヨーロッパ全域に影響力を拡大しました。

■戦後日本への影響

 また、ドイツ降伏後「2カ月後ないし3カ月後」にソ連の対日参戦を秘密裏に約束したことも重要です。参戦の条件として、スターリンは▼外モンゴルに対するソ連の優越権▼日露戦争により失った南樺太の回復、旅順・大連および南満州鉄道利権の優先権▼千島列島のソ連への引き渡し――を求め、米英の承諾を得たのです。これが地図④に見られる戦後日本を取り巻く領土の変更につながったことは言うまでもありません。

 第2次世界大戦後の諸問題の源に、大戦中の密約、つまり「勝者の世界分割」があったことを忘れてはいけないと思います。

■もっと知りたいあなたへ

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小林恭子著(中公新書ラクレ、2018年) 968円(税込み)

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