仕事一筋の私が『対岸の家事』詩穂に共感した理由。くだらない「専業主婦vsワーママ」対立してる場合じゃない
多部未華子さん主演のドラマ『対岸の家事』が6月3日に最終回を迎えた。毎回放送されるたびに話題になり、SNSを中心に視聴者がドラマの自分の境遇を重ねた感想や意見が飛び交い、それも含めて私は楽しんでいた。
私はもともと朱野帰子さんの小説が好きで、原作の『対岸の家事』数年前に原作を読んで一気に読んだ記憶があるのだが、結構前のことなのでストーリーやディティールの部分はすっかり忘れていた。そのお陰(?)もあってドラマも新鮮な気持ちで見ることができた。
【こちらもどうぞ】『最後から二番目の恋』千明と和平の“名前がない関係性”の意味を、大人になってやっとわかった
主婦じゃないのに「詩穂に近いのかも」と思った
ドラマを見ていなかった人のために説明すると、多部さん演じる専業主婦の詩穂を主人公に、江口のりこさん演じる仕事と家庭の両立に奮闘するワーキングマザーの礼子、ディーン・フジオカさん演じる、完璧な育児計画を掲げる官僚で育休中の中谷など、さまざまな立場や考え方をもつ「対岸にいる人たち」が交流しながらそれぞれの立場や悩みを分かち合っていくというストーリーだ。
私自身は結婚もしておらず、子供もいない。あえてラベルをつけるなら「独身女性」だ。会社員として長く働き、40代に入った今、礼子のように家庭と仕事の両立に悩む同僚や友人も多い。だからこそ、礼子の葛藤も決して他人事ではなかった。
そんな自らの置かれた立場もあって、ドラマを見る前は「どちらかと言うと礼子の立場に共感するのかなあ」なんて思って見ていたのだが、いざドラマが始まって思ったのは「私は詩穂に近いな」ということだった。
そもそも詩穂が専業主婦を選んだのは「2つのことを同時にできない」という理由からだったのだが、私が子供を産まない人生を選んだのも結婚をしない人生を選んだのも「2つのことを同時にできないから」だった。
もともと、子どもを産むことや結婚に強い興味はなかった。私の関心はいつも仕事に向いていた。もし家庭を持ち、子どもがいたとしたら——「子どものせいで自分のやりたいことができない」と思ってしまう自分の姿が、たとえ現実がそうでなくても、容易に想像できた。
だから私は、仕事一本で生きていく道を選んだ。42歳になった今も、その選択に後悔はない。
「今日は残業できる日なんだ!」ワーママの彼女がつぶやいた一言
私の場合はそんな感じなのだが、ふと周りを見渡してみると、“ゲームオーバー”にならないように仕事と家庭を「両立」している礼子のような女性たちが多いことに気づく。
私がまだ会社員だった頃、とても印象に残っている出来事がある。
普段は子どものお迎えのために、17時半には退勤していた女性社員が、ある日こう言ったのだ。「今日は残業できる日なんだ!」と。「今日は旦那が子どもたちを見てくれているから、思いっきり残業できるの」と、彼女は嬉しそうに話していた。
働き方改革やワークライフバランスが重視される今、こうした発言は批判されるかもしれない。でも、彼女にとっては、2週間に一度の“残業デー”が、思う存分仕事ができる特別な日だったのかもしれない。
彼女に限らず、ワーキングマザーたちのスケジュールはいつも分刻みだ。退勤後、子どものお迎えに急ぐ彼女たちと駅まで一緒に歩くことがよくあったが、「ごめん、○時○分の電車に乗らなきゃいけないから、早歩きでもいい?」と、決まって申し訳なさそうに言われた。
東京では電車なんて次々に来るのに、それでも「その一本」に乗ることが彼女たちにとっては切実なのだ。それだけ、毎日を必死に生きているのだと思う。
男性と女性の分断を煽るわけではないが、仕事と家庭の「両立」を求められるのは常に女性だ。新聞やネットニュースの見出しを見ても「両立」のラベルが貼られるのはほとんど女性だ。
「あなたは本当にそれでいいの?」と問いかけたい
ドラマの話に戻ろう。『対岸の家事』にはサブタイトルとして、「これが、私の生きる道!」とついているが、全話を通してこの理念(?)が貫かれていたドラマだったと思う。
冒頭で触れた詩穂もしかり、礼子も夫の転勤についていくために一時は会社を辞めて専業主婦になろうとするが「私、会社やめません! ここに残ります!」と宣言。
「私、やっぱり仕事続けたい。今の会社で働くのが好きだし、もっと挑戦したいこともあるから。私も楽しんでいる背中を子供たちに見せたい」と夫の量平に訴え、量平が転職をするという形で家族一緒に暮らせる道を選ぶ。
学生時代の友人にも夫の転勤でキャリアを諦めた女性が何人もいる。そのたびに私は(大きなお世話だけど)歯痒かった。なぜ妻のほうがキャリアを諦めるのか? それこそ他人の人生だし、本人が納得していれば私がどうこういうのは間違っているとは思いつつも、いまだに「あなたは本当にそれでいいの?」と心の中で問いかけずにはいられない。
大事なのは「自分で決める」こと
中谷も最終回である決断をした。中谷は今で言う教育虐待を受けており、母との間に確執があったのだが、訪ねてきた母に対して「待っていてほしい。いつか母さんに会いたいって思えるときがきたら僕から連絡する。だからそれまでは訪ねてこないで」「本当に僕のことを尊重してくれるなら待っていてほしい」と伝える。
許すか許さないかは自分が決めること――。父との確執があった詩穂に「許すも許さないも決定権は詩穂にある。詩穂の人生なんだから」と声をかけた虎朗のセリフにも通ずる。
どんな道を選ぶにしても、それを決めるのは自分自身だ。そう言うと「自己責任論」に聞こえるかもしれないが、そうではない。
主婦だの独身だの…ラベルはそれ以上でも、それ以下でもない
専業主婦、ワーキングマザー、主夫、独身……。世間はすぐにラベルを貼りたがり、「専業主婦は甘えている」「子どもが小さいのに働くなんてかわいそう」「その年で未婚なんて、何か問題があるはず」と、簡単にジャッジし、ラベルを貼られた本人も間に受けてしまう傾向がある。
でも、ラベルなんて結局は「役割」に過ぎない。それ以上でも、それ以下でもない。
たとえ自分で選んだ道でも、うまくいかずに後悔することだってある。そんなときは、引き返せばいいし、別の道を探したっていい。その場に止まって気が済むまで迷ったっていい。大事なのは、自分の人生の舵を自分で握って他人に委ねないこと。他人は、誰もその責任をとってはくれないのだから。
とはいえ、自分の歩く道は、できるだけ歩きやすいほうがいい。隣に並んで歩いてくれる人がいれば、なお心強い。ときには、一緒に歩いていたはずの人が、突然スピードを上げてどんどん先に進んでいくように見えて、焦ってしまうこともあるかもしれない。あるいは、別の道を選んだ人と、ふとした瞬間に並走したり、交差することもあるだろう。
だからこそ、どんな道を歩いていても、気軽に声をかけ合える関係でいたいと思う。いつまでも「専業主婦vsワーママ」なんて、くだらない対立をしている場合じゃない。私たちは、お互いの道を尊重しながら、ときに励まし合っていけたらいいのだ。
あ、そうそう。少しでも道を歩きやすく整えるのが、本来は政治の役目だと私は思っている。でも今の政治は、「茨の道かもしれないけど頑張ってね」「選んだ道なんだから自己責任で直してね」と、突き放しているようにしか見えない。
特に女性には、「介護も仕事も子育ても、ぜんぶうまくやって!」と、気軽に買い物を頼むようなノリで丸投げしているように見える。いつまで「対岸の火事」を決め込むつもりなのだろう。そのあたりは、なぜこのドラマが反響が大きかったのかをよくよく考えていただきたいと思っている。
(森鷹ユキ)