プロ野球の社会的地位を一変させた長嶋茂雄の存在意義をいま一度噛み締めたい
誰にでも長嶋茂雄との思い出が2つか3つはある。
私が報知新聞に入社すると、発行部数が落ち始めた。私のせいではない。入社は長嶋さんが現役引退した1974年だった。その年の暮れ、新宿伊勢丹で長嶋茂雄写真展が開かれた。
「おい新人、長さんから健さんの談話をもらってこい」
見習い中の度胸試しだろう。伊勢丹の裏口で車から降りた長嶋さんに駆け寄り「高倉健さんの話を」と切り出した。お迎えの集団に突き飛ばされたのは当然だとして、その中に報知の写真部長もいた。
仕方がないからゾロゾロついて回った。写真展を見学し、終わったと思ったら昼食。出てきたと思ったらゴルフ売り場で買い物。2時間ほど滞在し、裏口の車に乗り込んだ。(ああ、行っちゃった……)。と、走り出した車が止まり長さんが降りてきて叫んだ。
「さっき、健さんのこと聞いてたの誰かな」
あれから50年、こんな人に会ったことがない。
巨人担当でもなく、個人的付き合いもなかったが、監督引退後に雑誌でインタビューしたことがある。