本田圭佑「虚像と実像」(18)「私が応援せんでもみんなが応援してくれる私はそれだけでええのよ」
小学2年で両親が離婚した後、小さくて古びた木造2階建ての家で祖父母に育てられた。生活は楽ではなく、本田は「貧困と人の情け」と真正面に向き合った。
幼少期から本田を知る大叔父の大三郎は言う。
「圭佑は、小さい頃から周囲の大人や仲間たちのサポートを受けながら育った。もし彼らの助けがなかったら、間違った方向に進んでいたかも知れない。圭佑本人に感謝の気持ちがあるからこそ、何かの機会に恩返しをしたいという思いが、心の奥底から自然と湧いてくるのでしょう」
小学4年から本田を見続けた田中章博(現摂津市教育委員会・部活動振興相談員)もこう言う。
「常識的に考えれば、わざわざW杯が終わった直後に、摂津市役所を電撃訪問なんてせんでもいいはず。それでも足を運んだのは、圭佑が《人としてやらなアカン》という意識を持っていたからでしょう。昔から、友達の家でご飯を食べさせてもらったり、弘幸(兄)の友達を含めていろいろな人に迷惑をかけ、世話にもなった。圭佑というのは、そういう恩を絶対に忘れない。そういうヤツなんです」