瀬古利彦の師・中村清の没40年に思う昭和のマラソン「キミ、馬も人も同じだよ」
5月25日は中村清の没後40年の命日だった。
前日の午後、青山霊園を訪ねた。瀬古利彦を育て、日本のマラソンを頂点に導いた指導者は大変な頑固者だったが、その情熱なしに瀬古は世に出なかった。瀬古がいなければ中山竹通は現れず、中山の衝撃なしに谷口浩美の世界選手権のメダルもなかった。中村がいなければ、日本のマラソンは宗兄弟で終わっていただろう。
滞在先のポルトガル・リスボンで訃報を聞いた私は、スポルティング・クラブのモニス・ペレイラに会いに行った。前年のロス五輪で瀬古の夢を砕いたカルロス・ロペスの師は、練習後のシャワーを止めて聞いた。
「No rio(川で)?」
中村は新潟県・魚野川の釣行中に心臓発作を起こしたのだ。谷川岳を源とする魚野川は5月でも冷たいが、魚籠に12匹のヤマメが入っていた。当時の陸上記者の多くは早逝し、瀬古の本を最初に書いた石井信もそうだった。神田のおでん屋で石井君がけげんな表情をした。
「中村さんはひどいんだよ」